ページ

2011-02-17

舞い降りた天使

 2月16日に配信されたメールマガジン「メコンにまかせ」(vol.245)で、森本さんは、ようやく「伝統の森」にラックカイガラムシが甦ったと報告されました。少々長いですが、以下、再掲します。

●舞い降りた天使
 わたしの手元に一枚のチラシがある。それは2001年11月に、現在の「伝統の森・再生計画」への、わたしの最初の思いを綴ったもの。シェムリアップの店においでの方には、いまもお渡しするチラシである。その一部を紹介したい。
*   *   *   *   *
 1970年にはじまる内戦は、カンボジアの伝統的な社会や文化に深い傷跡を残してきた。そして、ここ数年ようやく平和が訪れた村々。しかし、伝統的な稲作社会を背景に育まれてきた文化は容易に回復することはできない。
 クメール伝統織物研究所が復元と活性化に取り組んできた絹織物も、カンボジアを代表する伝統文化のひとつ。戦乱以前には、村では綿花が栽培され、生糸を生産するために養蚕もおこなわれてきた。織りの素材となる糸から、藍やラックなどの自然染色の植物、そして必要な道具を作り出す木々など、そのすべてが村の中でまかなえるシステムが出来上がっていた。その中でも、カンボジア絣の布の特徴でもある赤色染料として使われてきたラックカイガラ虫の巣は、アンコールの時代から受けつがれてきた生活の智恵。ラックは古くから森の幸として取引され、フランスの植民地時代にはヨーロッパに向け輸出されていた。しかし、戦乱の中で壊滅、現在ではカンボジア国内では手に入らなくなってしまった。ラックカイガラ虫が生活温度を維持、成育するためには小規模ながらも森を必要とする。しかし、戦乱の中で、そんな自然環境も壊されてきた。
 クメール伝統織物研究所では、伝統的なこのラックカイガラ虫の生育に必要な自然の森の復元を、シエムリアップで取り組もうとしている。森は村の人々の伝統的な生活を支えてきた自然環境の中心。そんな、小さな森の再生。シエムリアップ伝統の森再生計画。あわせ、天然染料素材となる植物や樹木、果実の栽培も並行して進めていく計画。小さな自然染色植物園。これは、人とともに生きる森の創造でもある。研究所はこれまでの伝統織物の復元と調査の活動の中で、伝統は常に自然と共にあったことをあらためて教えられてきた。豊かな伝統は、豊かな自然があって始めて成立する。熱帯モンスーンのなかの自然林と稲作がこの地域の人々の生活と文化を大きく支えてきた。
 「伝統の森」と隣接した地域に、綿花や桑畑、そして織りや染を中心に、伝統的な竹細工や木工、焼き物など、村に伝わってきたカンボジアの伝統工芸を再現する小さな村を併設。それは、失われつつある熱帯モンスーンの森と共に生きる伝統工芸の姿を、次の世代に伝えてゆくためでもある。そのプロジェクトの名称は「伝統の森計画」。当初5ヵ年を予定。種から植えた苗木が育ち、ラックカイガラ虫が成育可能な森が出来上がるまで。
*   *   *   *   *
 この文を書いた頃は、まだ土地探しをしていた頃で、現在のアンコールトム郡に「伝統の森」をつくることも決まっていなかった。あちこちの地主から高い値段ばかりを言われながら、少しめげかけていた頃だったと思う。しかし、その思いは強く、それを綴ったもの。ただ、当時このチラシを読まれた方は、「村を、森を作る」などというような絵空事が書かれたものを読まれて、怪訝に思われた方も多かったのでは、と振り返る。
 それからはや10年。ほんとうに薪になる木まで切られた荒地と出会い、井戸を掘り、家を建て、開墾し、桑畑をつくり、そして切り株から出てきた新芽を育てながら、自然の森を甦らせることを続けてきた。そしていま、ようやくラックカイガラムシが暮らせる小さな森が育ちつつある。
 「伝統の森」の中に、樹齢70~80年ほどのトランと呼ばれる木がある。しかし、わたしたちがこの森に来た頃は枝もなく、死にかけていた。樹高6メートルほどのところで燃え痕とともにばさっと切られてしまい、枯れてしまった木のようだった。でも、不思議なことに、まわりの小枝のように細い木が育つのとあわせて、新芽が吹き返し、枝を広げ始めた。そして今では、10メートルはある枝を傘のように周りに広げるまでに甦った。不思議な気がする。死に体だった老樹が、周りの若い木々が育つのと合わせて、息を吹き返した。
 数年前、森を育てながら、ラックカイガラムシをもう一度呼び戻したい、そんな話をしていた頃、ラック飼育の経験のあるカンポット州のタコー村から来てくれた村人から、この「伝統の森」の中にもラックカイガラムシが寄生できる木が何本かあることを教えられた。伝統的にカンボジアでラックカイガラムシを育ててきた木、トラン、サケエ、そしてコソッコ。蘇り始めた森の中で、そんな木が見つかり始めた。その代表格の木が、じつは枯れたと思っていた、先のトランの老樹だった。
 そして、これも不思議な出来事が。数日前、そのトランの老樹に、ラックを携えた天使が舞い降りた。ラックは森が育つのを、待っていてくれたのかもしれない。育った頃を見計らい、天使に託す。ほんとうに夢のような出来事が起こってしまった。夢ならば、覚めないでほしいと思う。じつは織物好きの天使が、ラオスの村から染めに使うラックの巣を一握り、森に届けてくださった。ところが、その新鮮なラックカイガラムシの巣にはまだ生きたラックカイガラムシが、わずかだけれども、いた。それは、赤い小さな点のような大きさ。知らなければ、それが虫であることもわからない、そんな大きさのもの。無数に集まったコンマ5ミリ以下の小さな点のような姿は、ラックの語源、インドの古語サンスクリット語の「無限」を意味しており、小さな点のような虫が無数に集まった、その状態を指している。
 80年代、タイのバンコックで自然染色をあれこれ試みていた頃、チェンライの農家から新鮮なラックの巣が届けられた。床の上に積み上げられたラックの巣の山から、徐々に周囲に出て行く無数の真っ赤なラックの姿を始めて見た。赤いドーナツのような輪になった無数のラックたちは、徐々に輪を広げながら移動していた。それから数ヵ月後に、庭の木々にラックが巣を作り始めたことがある。しかし、街中の小さな家の庭では、ラックの命は永らえることはできない。
 1970年以前、カンボジアの森からラックカイガラムシが姿を消した。それがいま、40年のときを経て「伝統の森」に天使に携えられ戻ってきた。95年の調査で出会った、昔からラックカイガラムシを育てていたカンポット州タコー村の村人たち。その息子たちの世代が「伝統の森」に暮らしている。彼らが「伝統の森」に蘇ったラックの命を支える役割を担っていくであろう。ラックカイガラムシの新しい歴史が、いま始まる。
 ラックを携えた天使が「伝統の森」に舞い降りたかのように届けられたラックカイガラムシ。「伝統の森」に蘇ったラック。10年前、わたしは「伝統の森」の再生、それはラックカイガラムシが生育可能な森の再生を目指して、としていた。いま、ほんとうに10年の想いが実現した。ラックカイガラムシの生育にとって充分な森と呼べる自然環境がいまの「伝統の森」にあると確信しているが、これから数週間、数ヶ月、しっかりと見守らなければならない。
 この舞い降りたラックを迎える儀式を、できれば「伝統の森」で執り行いたいと思っている。それはアプサラの舞。踊り手たちを招聘して、ラックを迎える儀式、アンコールの森に迎える儀式として執り行いたい。予定では来月20日、満月の日を考えている。
 これは「伝統の森」の新しい門出でもある。
2011年2月16日  森本喜久男

【以上、メールマガジン「メコンにまかせ」掲載記事から再掲】
※メールマガジン「メコンにまかせ」の講読は、こちらからお申し込みください(講読無料)。
※なお、ラック(ラックカイガラムシ)に関しては、「IKTTで使われている染め材~ラック」もご覧ください。

0 件のコメント:

コメントを投稿