IKTT Japanは、長い戦乱で失われつつあったカンボジア独自のすばらしい伝統織物の復興をつうじて、人びとの暮らしと、それを支える自然環境の再生を目指し、カンボジアで活動を続ける現地NGO、IKTT(クメール伝統織物研究所)と、その創設者である故・森本喜久男の活動を支援するために発足した非営利任意団体です。 IKTT Japan Newsは、おもに日本国内でのIKTTに関するイベント情報やメディア掲載情報をお伝えしていきます。
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2012-05-21
草木染めの経験値
5月21日付で配信されたメールマガジン「メコンにまかせ」(vol.269)で、森本さんは、かつてバンコクで「バイマイ」という草木染めシルクの店をやっていた頃の話を紹介しています。
当時、ショップに並べられるシルクを、バンコクの自宅ガレージの染め場で、大きな寸胴鍋で手染めしているところを拝見したことがあります。
そのころ、バイマイの仕事と並行して、東北タイの農村で草木染めのワークショップを開催したり、日本の百貨店からのオーダーで手染めシルクの布を卸したことがあるとも記しています。そして、大量に染める作業を繰り返し、失敗も含めた経験値が上がるなかで、はじめて見えてくる世界があるとも。
こうした経験の積み重ねと、その後のカンボジアでの実績を踏まえ、今回、無印良品との草木染めを軸にした新たなコラボレーションが始まったのだと思います。以下、メールマガジンから引用します。
80年代の後半、わたしはタイで「バイマイ(木の葉)」という自然染料で染めた手織りシルクの布と製品を売る店をやっていた。今でいうところのフェアトレードの店かもしれない。村の織り手に、自然染色の講習会をやりながら、そこででき上がった布を自分で買い、売っていた(笑)。
当時は、すでに化学染料が当たり前。今ほど自然染料に対する関心や興味がなく市場は限られていた。店での主な客層は、タイ人の自営業の店主の女性たち。彼女たちは、草木染めという能書きよりも、それで生み出された色と本当の手織りの布の風合いが気にいってくれていた。その筆頭顧客は、なんとクイッティオという麺屋台のおばちゃん。屋台でクイッティオを出しながら、シルクの服を毎日着てくれていた。でも、汚れるんですね。で、汚れると染め直しを依頼しにきていた。
そして、テレビの有名なキャスターさんも常連だった。彼女のテレビに出るときの衣装は、バイマイのシルクの服が定番になり、ある時期から無償提供した。そのかわりに、番組のエンドロールにバイマイの名が表示されるようになった。
化学染料が当たり前だった村人に、昔なりの自然染料に回帰するためのワークショップを、東北タイの村で94年頃まで続けた。そのうちのいくつかの村は、いまではタイを代表する手織りと自然染料の布で有名と紹介されるまでに。明礬や鉄漿(おはぐろ)などの媒染を使った自然染料の定着と発色のためのノウハウや、乾燥したラックを使った染め方が、村に根付いていると聞いた。村でたずねるとわたしたちは昔からこうして使っていたというけれど、じつはわたしがワークショップで紹介したもの。それも、もう25年前のこと。四分の一世紀も経っているのだから、「昔から」と言われても嘘ではないのかもしれない。
当時、日本のアパレルメーカーから頼まれ、手織りシルクの布を月々2000メートルほど、椰子の実やバナナの葉などの自然染料で染めて納めていたことがある。ほぼ1メートル幅の布を長さ20メートル単位での手染め。でも、染めの道具は普通の少し大きめの高さ1メートルほどの寸胴ステンレス鍋、染めの材料の煮込み用には、一回り小さい60センチのものをいくつか。一度に20メートルの布を2枚づつ。一日に4枚から6枚。液量が多いからまったくの力仕事、あまりの量と重さに電動ウインチの設置を真剣に考えたことも。
染められたシルクの布は、バンコックにある日系の縫製メーカーの手でブラウスなどになり、日本のデパートで販売されていた。それが一年と少し続いた。好評だと聞いていたのだが、突然オーダーが止まった。数年後、偶然そのアパレルメーカーの社長さんに空港でお会いした。わかったことは、バンコックで間に入っていた現地のタイ系商社が、仕事を系列業者に流したようだ。しかし、もちろん偽の草木染め、シルクのクオリティも違う。社長さんも不審に思っていたという。しかし、現地商社の話では、わたしが断ったためにそうしたという、嘘の話になっていた。真剣な、笑い話といえる。
でも、その仕事をしたことで、自然染料で布を大量に染めるためのノウハウを学ぶことができた。そして、普通、草木で染めた場合に難しいといわれてきた同じ色で反物違いの布を千メートル単位で同じ色に染め上げる、そのための技術も身につけた。2万メートルを超える布を染めたことで得られた、技術的なことも含めた経験値。
京都時代、わたしは手描き友禅の職人だった。毎日、キモノに絵を描き、染める仕事をしながら、オイルショック前後、幸いにヒット商品と呼ばれるようなものも創ることもあった。同じ柄を100枚描き終えて、はじめて見えてくる世界があることも学んだ。99枚では見えてこない職人技の世界といえる。そんな経験をしてきているから、自然を相手に数万メートルの布を染め終えて、初めて見えてきた世界がある。
【以上、メールマガジン「メコンにまかせ」掲載記事から再掲】
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