はじめてわたしが「クメール語の小冊子発行に向けて」というメールを発信したのは2009年7月のことですから、ほぼ2年も前のことになります。小冊子の印刷発行と無償配布に向けて、みなさまにご支援をお願いしておきながら、ずいぶんと時間が経ってしまいました。あれはいったいどうしたのかと、ご心配いただいたり、呆れられている方もいらっしゃるかと思います。
できあがった『森の知恵』を、NGOで働くカンボジアの人たちや、日本語を勉強している若いカンボジアの人たち、周辺の小中学生などに届けはじめております。すでに読み始めた人からは、いいね、という反響があったりします。年長の方からは、若い人たちがカンボジアの伝統を見直すきっかけに役に立つと言っていただいたり、なかには、届けた組織の日本人の方から日本語版はないのか、と聞かれたりしております。
そして、ほんとうに光栄に思える出来事がありました。この『森の知恵』を読まれたシハヌーク元国王から、モニク王妃との連名で、手書きの賛辞のメッセージが届いたことです。これまで、共に歩んできたIKTTのみんな、そしてそれを支えてきていただいた方々と、その喜びを共有したいと思います。
そして81年、短期で難民キャンプを訪れ、難民となったカンボジアの人たちの姿、そこで暮らす人たち、そしてそこで活動する世界から集まった人たちに接したことが、京都で手書き友禅の親方として工房を構えていたわたしに、工房をたたみ、難民キャンプのボランティアとしてタイへ行くことを決意させた。それは、いっしょに仕事をしていた弟子から見れば、困った親方だったと思う。
難民キャンプにある織物学校のボランティアとして、83年1月からタイへ。しかし到着してみると、そのキャンプは閉鎖が決まっていた。そんなとき、わたしが京都で染織の仕事をしていたことを知っている方が、国際ロータリーの会合でバンコックに来られていた。お会いして、「森本さん、あなたの経験を生かさなければ、もったいないよ」と一言。それが、現在まで続く「糸へん」と呼ばれる、布にかかわる仕事に自身を特化してきた、きっかけだったかもしれない。
難民キャンプに収容されたカンボジアの人たち、そしてそのキャンプの周辺で古くからタイに暮らすクメール・スリンと呼ばれる人たち。そこに、黄色い生糸を吐く蚕がいた。京都で10年と少し、友禅染めという絹織物にかかわる仕事をしながら、生糸は白いものだと思っていた常識を覆された。そして、その黄色い生糸で織りあがった手作りの布が持つ風合いに、惹かれた。当時、村で作られている黄色い生糸は品質が劣るというのが、多くの専門家の常識だった。そのことへの疑問、そして実際に材料工学の専門家に検査をお願いしたこともある。そして、この黄色い生糸の良さを確信。以来30年近く、その黄色い生糸にまとわり付かれながら、その糸からできる布が好きで、今ではその人たちとカンボジア、シェムリアップで「伝統の森」と呼ぶ小さな村を作りながら暮らしている。それは、不思議な出会いの積み重ね。
カンボウジュ種と呼ばれる、黄色い生糸で織り上げられたクメールシルク。しかし、長い内戦のなかで、そのすばらしい伝統が、カンボジアの人たちの中でも失われようとしていた。それを取り戻したいということが、わたしのIKTTとしての活動の起点。
そして、そのすばらしい伝統が、暮らしとともにある豊かな熱帯モンスーンの自然の中で育まれてきたことと、そのことの大切さに改めて気付いたことが、シェムリアップ郊外のピアックスナエンに、織物を生み出す村の生活とそれを包む自然環境の再生をめざす「伝統の森」プロジェクトを開始した動機となった。
アンコールの時代、かつてはそこはアンコールを包む森の一部だったと確信する。でも、「伝統の森」プロジェクトを始めてまもなく、周辺の、わずかに自然の木々が残されていた土地が、数日にしてブルドーザーですっかり伐採されるという状況も目の当たりにした。そして、現在のカンボジアには、この国にすばらしい伝統的絹絣があったことも知らず、それを見たことのない若い人たちがたくさんいることにも気付いた。
桑の木を植え、蚕を育て、自然の染料を使って布を作る日々のことや、伝統や自然について、これまでわたしは日本語でメイルニュースやウェブサイトに書いてきた。しかし、わたしのクメール語のいたらなさもあり、なかなか周りにいるカンボジアの人たちに、そんな仕事への気持ちを伝えられずもどかしい思いもしてきた。そんなこともこのクメール語小冊子を作りたいと思った発端にあった。
幸いなことに、松岡さんという方がボランティアで、わたしの日本語を英訳してくれていた。あるとき、ウェブにアップされていた英訳された文書を読んだIKTTのスタッフで英語を熱心に勉強しているサカ君が、それをクメール語に翻訳することを始めた。それがIKTTのスタッフやサカ君の同級生の間で回し読みされ、いろんな声が聞かれるようになってきた。IKTTに、お絵描き組というのがある、毎日好きな絵を描きながら給料をもらえる人たち。でも、彼女たちは、なぜわたしがお絵描き組を始めたのか知らないでいた。そして、わたしの思いをクメール語で読み、納得。また、クメールシルクの話を読み、初めて黄色いクメールシルクと白いシルクの違いがあることを知った人もいる。それならば、そのクメール語の原稿をまとめて小冊子にし、多くのカンボジアの若い人たちに読んでもらおう、というのがそものそもの始まり。
そして、サカ君の翻訳の見直しを、元留学生のメアンさんにお忙しい仕事の合間を縫ってお願いし、格調高いクメール語と言えるだけのものに磨き上げられ、ようやく『森の知恵』ができあがった。
こうして完成したことを、いまとても嬉しく思っています。
日本から、出版と無償配布に協力していただいた多くのみなさんに、ここにあらためて感謝とお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。当初、お約束したとおり、ご支援いただいたみなさまのお名前も、本の最後のページに掲載させていただきました。深謝。
【以上、メールマガジン「メコンにまかせ」掲載記事から再掲】
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※2009年7月に森本さんが発信した「クメール語の小冊子発行に向けて」については、こちらをご覧ください。
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