2011-02-21

手の届くところに(「伝統の森」にラックをとりもどす)

 2月18日に配信されたメールマガジン「メコンにまかせ」(vol.246)で、森本さんは、「伝統の森」にとりもどすことができたラックカイガラムシについての続報を記しています。併せて、老樹トランにラックカイガラムを寄生させたときの写真を紹介します。

●手の届くところに
 95年の調査の過程で、ラックカイガラムシがカンボジアの森から消えてしまったことを知った。カンボジアの鮮やかな絣の布の基本の色は、このラックカイガラムシの巣から得られる赤色。その巣は、昔は織り手の手の届くところにあった。
 新鮮なラックの巣から得られる鮮やかな赤。その染め方を覚えているという、おばあちゃんと村で出会った。木の臼のようなもので、熱湯を入れながら、お餅のように杵で練りながら徐々に色を抽出していく。この方法は、新鮮なラックを使うときの抽出法。現在のIKTTでは、ラオスから送られてくる乾燥したラックの巣しか手に入らないから、まず巣を石臼で細かく挽く。その細かな粉状の巣を二晩ほど水に浸け、色を抽出する。これが乾燥したラックを使う場合の方法。
 水に浸けるときに、タマリンドの実をほぐして入れる、タマリンドの葉でもよい。これが色の抽出を助ける助剤の役割をする。そしてタマリンドを入れることで、5年後10年後のラックの色の輝きがあきらかに違ってくる。わたしはそれを10年前、20年前に自分で染めた布で経験している。
 ラックは、ヒマラヤ山系の山の中にいるカイガラムシの仲間。ブータンやネパールが、その故郷。ブータンでは、いまでも日常的にラックを使って染めているという。ラックは塗料のラッカーの語源でもある。今でも、その巣は、木の家具などを磨くために利用されている。色を抽出した後のラックの巣はシェラックと呼ばれ、非常に多様な工業製品の素材として使われてきた。たとえば、昔の黒いレコード盤の原料だったり、絶縁版のベークライトの原料として使われてきた。 第二次大戦中に、タイにいた日本軍は無線機などを作るために必要なこのラックの巣を、台湾や和歌山で生産するために、特別機を飛ばして、運んで実験していたというような記録も残されている。25年ほど前に、タイでこのラックと出会い、使いながら、その美しい色に惹かれ、いろいろとその由来などを調べ始めたことがある。日本の正倉院の宝物の中にも、このラックは残されている。非常に古い時代から、赤い色を染める染料として利用されてきた。
 カンボジアの古い絣布に残された、鮮やかな赤い色を染めたくても、乾燥したラックでは限界がある。いつか、そのラックカイガラムシをカンボジアに取り戻したいと願ってきた。そのためには、ラックが寄生できる木と、そのラックが繁殖できる森の環境を再生しなければならない。失われた自然環境を取り戻す。それが2002年から動き始めた「伝統の森」再生計画の大きな課題であった。そのために、ラックが寄生できる木の中で、植樹と栽培が比較的容易なグアバの木を選び、苗木を準備し植えてきた。
 ラックのために植えたグアバなのだが、数年して育ち始めると、みんなの関心はそのおいしい実にいく。それと並行して、荒地の中に残された切り株から芽吹いた木の中に、ラックが寄生できる木があることも分かってきた。そして、また数年、下草を刈り間引きをしながら、荒地は、林のような小さな森に育ち始めてきた。
 不思議なことがあるもの、そんなふうに森が育つのを待っていたように、ラックカイガラムシが「伝統の森」に戻ってきた。降臨、舞い降りたのである。でもまだそれは小さな点のようなもの。今後、ラックが「伝統の森」を気に入り、元気に育ってくれなくてはならない。そして、実際にその巣を収穫できるのは1年か2年先。温かく、見守ってやらなくてはならない。


 「伝統の森」再生計画を構想し始めて、10年が過ぎた。いまその計画の象徴でもあったラックカイガラムシを取り戻すことが実現した。それとともに、とても不思議な気持ちをいま感じている。それをまだ、うまく言い表せないでいる。しかし、あらためてこれまでのIKTTの活動を支えてきていただいた多くの方々に感謝の気持ちを、そして、この歓びを共有していただければと願っている。
 来月、満月となる20日。ラックを携えて舞い降りた天使に感謝の気持ちを表すために、「伝統の森」にアプサラの踊り手たちを招き、ラックを迎える儀式を執り行う予定でいる。それは「伝統の森」でこれからラックカイガラムシが元気に育ってくれることを願う儀式でもある。
 それは「伝統の森」の新しい門出、記念すべき日となるはず。
森本喜久男

【以上、メールマガジン「メコンにまかせ」掲載記事から再掲】
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※なお、ラック(ラックカイガラムシ)に関しては、「IKTTで使われている染め材~ラック」もご覧ください。

2011-02-17

舞い降りた天使

 2月16日に配信されたメールマガジン「メコンにまかせ」(vol.245)で、森本さんは、ようやく「伝統の森」にラックカイガラムシが甦ったと報告されました。少々長いですが、以下、再掲します。

●舞い降りた天使
 わたしの手元に一枚のチラシがある。それは2001年11月に、現在の「伝統の森・再生計画」への、わたしの最初の思いを綴ったもの。シェムリアップの店においでの方には、いまもお渡しするチラシである。その一部を紹介したい。
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 1970年にはじまる内戦は、カンボジアの伝統的な社会や文化に深い傷跡を残してきた。そして、ここ数年ようやく平和が訪れた村々。しかし、伝統的な稲作社会を背景に育まれてきた文化は容易に回復することはできない。
 クメール伝統織物研究所が復元と活性化に取り組んできた絹織物も、カンボジアを代表する伝統文化のひとつ。戦乱以前には、村では綿花が栽培され、生糸を生産するために養蚕もおこなわれてきた。織りの素材となる糸から、藍やラックなどの自然染色の植物、そして必要な道具を作り出す木々など、そのすべてが村の中でまかなえるシステムが出来上がっていた。その中でも、カンボジア絣の布の特徴でもある赤色染料として使われてきたラックカイガラ虫の巣は、アンコールの時代から受けつがれてきた生活の智恵。ラックは古くから森の幸として取引され、フランスの植民地時代にはヨーロッパに向け輸出されていた。しかし、戦乱の中で壊滅、現在ではカンボジア国内では手に入らなくなってしまった。ラックカイガラ虫が生活温度を維持、成育するためには小規模ながらも森を必要とする。しかし、戦乱の中で、そんな自然環境も壊されてきた。
 クメール伝統織物研究所では、伝統的なこのラックカイガラ虫の生育に必要な自然の森の復元を、シエムリアップで取り組もうとしている。森は村の人々の伝統的な生活を支えてきた自然環境の中心。そんな、小さな森の再生。シエムリアップ伝統の森再生計画。あわせ、天然染料素材となる植物や樹木、果実の栽培も並行して進めていく計画。小さな自然染色植物園。これは、人とともに生きる森の創造でもある。研究所はこれまでの伝統織物の復元と調査の活動の中で、伝統は常に自然と共にあったことをあらためて教えられてきた。豊かな伝統は、豊かな自然があって始めて成立する。熱帯モンスーンのなかの自然林と稲作がこの地域の人々の生活と文化を大きく支えてきた。
 「伝統の森」と隣接した地域に、綿花や桑畑、そして織りや染を中心に、伝統的な竹細工や木工、焼き物など、村に伝わってきたカンボジアの伝統工芸を再現する小さな村を併設。それは、失われつつある熱帯モンスーンの森と共に生きる伝統工芸の姿を、次の世代に伝えてゆくためでもある。そのプロジェクトの名称は「伝統の森計画」。当初5ヵ年を予定。種から植えた苗木が育ち、ラックカイガラ虫が成育可能な森が出来上がるまで。
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 この文を書いた頃は、まだ土地探しをしていた頃で、現在のアンコールトム郡に「伝統の森」をつくることも決まっていなかった。あちこちの地主から高い値段ばかりを言われながら、少しめげかけていた頃だったと思う。しかし、その思いは強く、それを綴ったもの。ただ、当時このチラシを読まれた方は、「村を、森を作る」などというような絵空事が書かれたものを読まれて、怪訝に思われた方も多かったのでは、と振り返る。
 それからはや10年。ほんとうに薪になる木まで切られた荒地と出会い、井戸を掘り、家を建て、開墾し、桑畑をつくり、そして切り株から出てきた新芽を育てながら、自然の森を甦らせることを続けてきた。そしていま、ようやくラックカイガラムシが暮らせる小さな森が育ちつつある。
 「伝統の森」の中に、樹齢70~80年ほどのトランと呼ばれる木がある。しかし、わたしたちがこの森に来た頃は枝もなく、死にかけていた。樹高6メートルほどのところで燃え痕とともにばさっと切られてしまい、枯れてしまった木のようだった。でも、不思議なことに、まわりの小枝のように細い木が育つのとあわせて、新芽が吹き返し、枝を広げ始めた。そして今では、10メートルはある枝を傘のように周りに広げるまでに甦った。不思議な気がする。死に体だった老樹が、周りの若い木々が育つのと合わせて、息を吹き返した。
 数年前、森を育てながら、ラックカイガラムシをもう一度呼び戻したい、そんな話をしていた頃、ラック飼育の経験のあるカンポット州のタコー村から来てくれた村人から、この「伝統の森」の中にもラックカイガラムシが寄生できる木が何本かあることを教えられた。伝統的にカンボジアでラックカイガラムシを育ててきた木、トラン、サケエ、そしてコソッコ。蘇り始めた森の中で、そんな木が見つかり始めた。その代表格の木が、じつは枯れたと思っていた、先のトランの老樹だった。
 そして、これも不思議な出来事が。数日前、そのトランの老樹に、ラックを携えた天使が舞い降りた。ラックは森が育つのを、待っていてくれたのかもしれない。育った頃を見計らい、天使に託す。ほんとうに夢のような出来事が起こってしまった。夢ならば、覚めないでほしいと思う。じつは織物好きの天使が、ラオスの村から染めに使うラックの巣を一握り、森に届けてくださった。ところが、その新鮮なラックカイガラムシの巣にはまだ生きたラックカイガラムシが、わずかだけれども、いた。それは、赤い小さな点のような大きさ。知らなければ、それが虫であることもわからない、そんな大きさのもの。無数に集まったコンマ5ミリ以下の小さな点のような姿は、ラックの語源、インドの古語サンスクリット語の「無限」を意味しており、小さな点のような虫が無数に集まった、その状態を指している。
 80年代、タイのバンコックで自然染色をあれこれ試みていた頃、チェンライの農家から新鮮なラックの巣が届けられた。床の上に積み上げられたラックの巣の山から、徐々に周囲に出て行く無数の真っ赤なラックの姿を始めて見た。赤いドーナツのような輪になった無数のラックたちは、徐々に輪を広げながら移動していた。それから数ヵ月後に、庭の木々にラックが巣を作り始めたことがある。しかし、街中の小さな家の庭では、ラックの命は永らえることはできない。
 1970年以前、カンボジアの森からラックカイガラムシが姿を消した。それがいま、40年のときを経て「伝統の森」に天使に携えられ戻ってきた。95年の調査で出会った、昔からラックカイガラムシを育てていたカンポット州タコー村の村人たち。その息子たちの世代が「伝統の森」に暮らしている。彼らが「伝統の森」に蘇ったラックの命を支える役割を担っていくであろう。ラックカイガラムシの新しい歴史が、いま始まる。
 ラックを携えた天使が「伝統の森」に舞い降りたかのように届けられたラックカイガラムシ。「伝統の森」に蘇ったラック。10年前、わたしは「伝統の森」の再生、それはラックカイガラムシが生育可能な森の再生を目指して、としていた。いま、ほんとうに10年の想いが実現した。ラックカイガラムシの生育にとって充分な森と呼べる自然環境がいまの「伝統の森」にあると確信しているが、これから数週間、数ヶ月、しっかりと見守らなければならない。
 この舞い降りたラックを迎える儀式を、できれば「伝統の森」で執り行いたいと思っている。それはアプサラの舞。踊り手たちを招聘して、ラックを迎える儀式、アンコールの森に迎える儀式として執り行いたい。予定では来月20日、満月の日を考えている。
 これは「伝統の森」の新しい門出でもある。
2011年2月16日  森本喜久男

【以上、メールマガジン「メコンにまかせ」掲載記事から再掲】
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※なお、ラック(ラックカイガラムシ)に関しては、「IKTTで使われている染め材~ラック」もご覧ください。

2011-02-15

IKTTの絹織物ができるまで(その5)



(17)織り機に糸綜絖を準備する。[写真左上]
(18)カンボジアの絹絣は三枚綜絖の緯糸絣。複雑な柄になると、括られた緯糸の数は約250本にもなる。[写真右上]
(19)染め上げられた糸は、竹筬を使った織り機で織り上げる。手引きの生糸と相まって、独特の風合いはこうして生まれる。[写真左下]
(20)すべての作業を人の手で行なう。地道な作業の積み重ねが、カンボジア伝統の絹織物を復興に導いた。[写真右下]

2011-02-14

IKTTの絹織物ができるまで(その4)



(13)括った糸をラックで染める。[写真左上]
ラックの他、プロフー、インディアンアーモンド、インディゴなど、IKTTで使用するのはすべて自然染料。
(14)括った糸の繊維の中まで染料を浸透させるために、染めた糸をたらいに叩きつける。[写真右上]
(15)糸を括って染めると、括られた部分が染まらずに白く残る(この技法を防染という)。この作業の繰り返しで、絣の柄は作られる。[写真左下]
(16)染め上げた絣糸を干す。[写真右下]

IKTTの絹織物ができるまで(その3)



(9)生糸を巻き返しながら、糸に残る節を外し、繋ぎ直していく。これは手引きの糸を織り機にかけるために不可欠の作業。[写真左上]
(10)糸に強度を持たせるため、撚りをかける。[写真右上]
(11)絹糸の表面にあるタンパク質(セリシン)を取り除くために、灰汁で煮て、精練する。[写真左下]
(12)絣枠に緯糸を張り、バナナの幹の繊維で括り、絣の柄を描き出す。[写真右下]
この括りの作業と染めの作業を何度も繰り返し、次第に精緻な絣柄ができあがる。

2011-02-13

IKTTの絹織物ができるまで(その2)



(5)木の枝の“まぶし”から繭を収穫する。多化性の蚕ゆえ、年に7~8回の収穫期を迎える。[写真左上]
(6)収穫した繭を天日に干す。カンボウジュ種と呼ばれる在来種の蚕の繭は、輝くような黄色である。[写真右上]
(7)素焼きの壺で繭を煮て、簡単な道具で、生糸を引いていく。日本の「座繰り」という方法と変わらない。[写真左下]
(8)手引きされた生糸を干す。[写真右下]

2011-02-12

IKTTの絹織物ができるまで(その1)



(1)IKTTの布作りは、桑の苗を育てるところから始まる。[写真左上]
(2)摘み取った桑の葉を細かく刻み、蚕のいるザルの上に振りかけるようにして給餌する。[写真右上]
(3)蚕の一生は約45日。カンボジアの蚕は、カンボウジュ種と呼ばれる熱帯種の蚕。[写真左下]
(4)成熟した蚕を木の葉の間に置き、繭を作らせる。生葉のついた木の枝を束ねたものが“まぶし”となる。[写真右下]