2月16日に配信されたメールマガジン「メコンにまかせ」(vol.206)で、森本さんは「伝統の森」での、最近の座ぐり(繭から生糸を引く作業)について、次のように記しています。
そのときの写真が森本さんから届きましたので、あわせてご紹介させていただきます。
数人の女性たちのざわめきで、何事かなと思いながら目が覚めた。そうだ。昨日から始めた繭から糸を引く作業の準備が、わたしの家の前ですでに始まっているのだ。
石で簡単なかまどを作り、そこに大きめの素焼きの壺を置き、火を起こす。もちろん薪で。この壺で、繭を茹でて糸をひく。昔ながらの簡単な道具によるやりかた。日本では、座ぐりと呼ばれる技法である。そして“釜茹での刑”になる蚕たち。黄色い繭から、鮮やかな黄色い生糸が引かれていく。
お母さんの周りには、たくさんの子どもたちが集まり、茹で上がった蛹を、おやつにもらうことを楽しみに待っている。座ぐりの素焼きの壺は三組。それぞれに、三人がついている。一人は、糸を繭から引く係。二人目は新しい繭を壺に入れる係。もう一人は、糸が引かれたあとの、おやつになる蛹を取る係。そして、その横では、若い女性が引き上がった生糸を膝に載せ、糸筋を整理している。十数人の女性たちが手際よく働く姿は、見ていて、とても微笑ましい光景。そして男たちは、薪を割り、運んでくる。
この女性たちの多くは、カンポット州からの移住組。2003年以降、「伝統の森」での桑畑と養蚕の事業開始のために、400キロの遠路をはるばる来てくれた、村の養蚕のプロたち。
わたしの、彼ら彼女らとの最初の出会いは、1995年2月。考えてみれば、早いものでもう15年になる。そんなことを思い出しながら、目の前で引かれていく黄色いきれいな生糸に見入る。
ユネスコの調査で、カンボジア各地を回り、途絶えているとされていた養蚕の村を探していた。そんななかで出会ったのが、カンポット州タコー村。内戦前には、養蚕が盛んだったという。しかし、人づてに聞いて、わたしが村を訪ねたとき、すでにその面影はなかった。それでも、この村には養蚕のための道具が大切に残されていた。
そんな、かつての養蚕の村で伝統的養蚕を再開しようと、わたしがタコー村に蚕の卵を届けたのが1995年の7月。改めて9月には、蚕を繭の状態で届け、ようやく養蚕再開を果たすことができた。そのときの、村のおばあやおじいの、息子や娘にあたる若者たちが「伝統の森」にやって来たのは2003年のこと。彼ら彼女らは、ここでは桑畑の世話と蚕を育てることが主な仕事。そしていま、タコー村の伝統の知恵が、わたしたち「伝統の森」に甦っている。
【以上、メールマガジン「メコンにまかせ」掲載記事から抜粋、一部加筆修正】
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