2013-03-31

「伝統の森」の菩提樹のこと

 「伝統の森」の菩提樹について、2月10日付で配信されたメールマガジン「メコンにまかせ」(vol.283)からの引用で、ご紹介します。

 新年を迎え、「伝統の森」の入口近くにある菩提樹の参拝に、子どもたちと出かけることにした。この菩提樹は不思議な縁でここに植えられている。
 12年前、シェムリアップの町の外れに住み始めた家。元々、そのあたりには古い中国寺院があったと思えるところ。内戦の混乱のなかで、その寺院は跡形もなく壊されてしまったようで、二軒隣の家の裏手には、当時の寺院の跡を物語るような石組みが今も残っている。
 そんなところだから、大きな菩提樹の木があったとしても不思議ではない。わたしが、そこで暮らし始めてしばらくすると、家の前の地面から小さな菩提樹の芽が出てきた、最初はわたしも深く考えず、その10センチほどの新芽を、他の雑草と同じように切り捨てた。すると、またしばらくして新しい新芽がニョキと出てきた。不思議な縁だと、様子を見ながら、新芽が20センチほどになったときに、その出てきている石垣の隙間から細根を切らないように掘り起こし、とりあえず植木鉢に移した。幸いにも、そのまま根付き、育ってくれた。
 ちょうどそのころ、動き始めた「伝統の森」再生計画。「伝統の森」の一角にその菩提樹の苗木を植えることにした。それからはや10年。「伝統の森」事業が育つのと同じく、菩提樹の木も育ってくれている。雑木林の中だから、周りの木も育ち、菩提樹のあたりは日陰になっていた。一年ほど前に周りの木を切り、菩提樹が育ちやすい環境にした、それから、ちょうど一年。
 最近では、わたしは、どこか海外や長旅に出かけるときは、必ずこの菩提樹に挨拶して出て行くようにしている。不思議なもので愛着も湧いてくる。じつは牛の神様プレア・コーを奉納することを決めたとき、この菩提樹のそばにと初めは考えていた。ところが先日、気が変わった。もう少しこの菩提樹の木の周りを整備してから、牛の神様をここにお迎えしようと思うようになった。そのため、プレア・コーの奉納の儀式は、仮の家となる、わたしの家のそばで執り行うことにした。
 シェムリアップにあった古い中国寺院の菩提樹が、今ではアンコールトム郡のIKTTの村に暮らし始めている。わたしは、菩提樹にはその古い中国寺院の神様の心が宿っていると、みんなに説明するようにしている。それは、本当の話。わずか20センチの木の芽が、今では7メートルほどの木に成長している。生命力とは、すごいもの。
 中国正月の元旦の今朝、お年玉をもらって幸せそうな子どもたちも連れ、村の人たちと一緒に、この菩提樹へお詣りをすることができた。感謝。
 「伝統の森」には、もともとの土地の神様、そして古い中国寺院の神様、近いうちには牛の神様もやって来られる。本当に八百万の神様に見守られながら「伝統の森」が末永く発展していってくれればと願うだけである。


【以上、メールマガジン「メコンにまかせ」掲載記事から、一部加筆訂正のうえ再掲】
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2013-03-28

「蚕まつり2013」レポート(その6)蚕供養

 翌朝早く、森本さんのところに村長のトオルさんがやってきました。「忘れていたことがあった。菩提樹を祀っていなかった」。
 「伝統の森」の入り口近くに、シエムリアップの工房から移植した菩提樹の木があります。かつて中国寺院があったと思われる土地から芽吹いた菩提樹です。この木もまた、「伝統の森」を守っているのだと森本さんはいいます。その木の前で、改めて「伝統の森」の平穏と発展を祈りました。
 
 やがて、僧侶たちが到着しました。蚕供養の準備が進められていきます。
 ふたたび、プリンセスが到着されました。昨日より、さらに皆に親しげに挨拶をされています。
 
 「蚕供養」が始まりました。僧侶たちによる読経が続きます。
 
 儀式の最後では、僧侶たちへお布施を行ないます。お布施の品一式をそれぞれの僧侶の前にお供えし、その後は順に、参列者たちが僧侶の托鉢に炊いた米をよそっていきます。こうした布施行為そのものが、在家の功徳を積むとされるのです。
 すべての儀式が終わり、最後はプリンセスや郡の副代表と記念写真です。
 

2013-03-27

「蚕まつり2013」レポート(その5)子どもたちのダンシング、MILOのコンサート

 食事と休憩を挟み、前夜祭の第二部がはじまりました。
 まずは、子どもたちのダンシングです。「カンナム・スタイル」はカンボジアでも流行っているらしく、子どもたちもハジケまくってました。
 
 続いては、シエムリアップで活動するバンドMILOのステージです。
 さすが地元で活動するバンドです。客席との合唱あり、客席からの飛び入りありで、楽しいステージを展開してくれました。
 
 
 以上で、前夜祭のプログラムは、すべて終了しました。
 ファッションショーに出演したスタッフたちは、着替えや化粧を落とすため、楽屋に戻っています。ステージからMILOの機材がはけると、再び音楽が流れ始めました。ダンスタイムです。
 ゆったりとしたクメール歌謡では、輪になって左回りにゆったりと歩きながら踊ります(日本でいえば、盆踊りのようなものでしょうか)。ビートの効いたアップテンプの曲では、それぞれで踊ったり、スクエアという、曲の途中で皆揃ってくるりと向きを変えつつステップを踏むダンスで盛り上がりました。
 

2013-03-26

「蚕まつり2013」レポート(その4)ファッションショー後半

 
 ファッションショー後半では、森本さんが制作した手描きバティックのオンパレードです。
 もうひとつの見どころは、年を追うごとにバージョンアップする着付けの妙でしょう。彼女たちが身につける絣布は、ハサミを入れたり、縫製したりしていません。巻きつけたり、布の端を縛ったりするだけで、この着付けを実現しているのです。
 ステージに上がったモデルたちも、余裕のある表情で自信に満ちたウォーキングと身のこなしを披露してくれています。


 陽が傾きかけた頃、最後のステージが始まりました。陽の光と、ライトが重なり、なかなかいい雰囲気を醸し出しています。
 
 
 そして、全員が再びステージに上がり、フィナーレを向かえます。今回、フィナーレのBGMには"We are the champions"が使われました。

2013-03-25

「蚕まつり2013」レポート(その3)ファッションショー前半

 いよいよ、前夜祭の第一部、ファッションショーが始まりました。始めのステージは、竹竿に吊るしたピダン(絵絣)を掲げての入場、ピダンのデモンストレーションです。
 

 続いては、細かい飾りのあるブラウスとサンポットホール(絣のスカート)での女性たちの行進です。髪には、今朝摘んだばかりのプルメリアの花が飾られています。
 
 そして、ファッションショーの定番となった、男衆によるパフォーマンスです。リハーサルの時間が取れず、今朝の最後の通し稽古の場で、森本さんが振りつけたにしては、なかなかのものです。会場からは大きな拍手が沸きました。
 

2013-03-24

「蚕まつり2013」レポート(その2)開会式&奉納の舞

 プリンセスが着席され、いよいよ「蚕まつり2013」の開会です。
 まずは、森本さんから歓迎の挨拶。クメール語の通訳は、昨年に続き、メンアンさんが担当しています。来賓挨拶は、アンコールトム郡の副代表、そしてプリンセスからの祝辞と続きます。このピアックスナエンの地で、カンボジアのすばらしい伝統を受け継ぎ、発展させ、自然を守り、さらには雇用を創出している森本さんとIKTTの活動への感謝と賛辞が寄せられました。
 
 
 続いて、アプサラダンサーによる舞が奉納されました。
 
 

2013-03-23

「蚕まつり2013」レポート(その1)前夜祭の準備

 3月16日の朝9時過ぎ、ステージ上で最後の通し稽古が始まりました。
 本番へ向けての準備はおおむね順調であったとはいえ、今回、IKTTのスタッフたちに準備の段階からその多くをゆだねてきたがゆえに「準備が一日足りない。あと一日ほしかった」というのが森本さんの心境のようです。しかし、森本さん自身が1週間前に上海へ出かけていたことや、「蚕まつり」開催のために行政や警察など関係各所に連絡や調整を行なうべき頃に、カンボジアじゅうが前シハヌーク国王の葬儀に伴い喪に服していたこともあり、予定よりいろいろなことが滞ってしまっていたのは、やむを得ないことでもありました。ステージに向かって設営された貴賓席の準備も整いました。
 
 通し稽古が終ると、ステージ近くで、実演と展示の準備が始まりました。
 繭から生糸を手引きする作業や、綿花から糸を紡ぐ作業の実演、括りや織りの実演などの準備も始まりました。桑の葉を食む蚕や黄色い生糸、そしてIKTTで使用している染め材なども展示されました。これは「蚕まつり」に参加する方々に、IKTTで行なわれている仕事を、より具体的に理解してもらうためです。実演を担当する面々も、プリンセスがご覧になることを意識してか、やや緊張しているようです。
 
 
 
 プリンセスが到着されました。一人ひとりと、にこやかに挨拶を交わしていらっしゃいます。後ろでカメラを高く掲げているのは、地元メディアのカメラマンです。