かつて森本さんと仕事をしたことのある織り手の家だった。二階建ての家から出てきたのは、その家の旦那さん。森本さんと奥さんが写っている額入りの写真を見せてくれた。旦那さんも括りをするようで、バイヨンの尊顔、アンコール・ワット、ジャヤヴァルマン7世の像を括った作品が額装されて飾ってある。家の横手の作業場だったと思われるところには、使われなくなった織り機が3台残る。ドライバー氏によると「この家は、森本さんの指導を受けた後、人を集めて絣布を制作するようになった。もともとは粗末な家に住んでいたが、この家を建てるまでになった成功者なんだ」とのこと。
その隣も、そのさらに隣の家も、絣布を織っている。織り機に掛かっていたのは、ピンク主体の孔雀の図柄。非常に絵画的だ。
奥さんは、今は別のところで織っているとのことで、旦那さんが電話してくれ、そこへ移動することに。
途中、サイワ・マーケット(1995年に森本さんがフィールドワークを行なったときのユネスコへの報告書によれば、ここが近在の生糸や絣布の集積地)を通過。当然ここにも寄るものと思っていたが、「見るところはない」とドライバー氏。しばらく進んだ先の、看板も出ていない家の入り口で、一人の女性が待っていてくれた。彼女が、先の写真に写っていた織り手その人。案内されたのは、作業中の織り機が3台並ぶ工房だった。彼女が織っているのは、花柄がモチーフの、金色に染められたスカーフサイズの絣布、日本からのオーダーなのだという。
工房を辞して、舗装道路から脇道に入る。水田や木々の間に点在する家々。その多くの軒下には、織り機が見える。男性が織り機に向かっているのを見つけ、訪ねてみる。昼食間近なので奥さんが食事の準備をし、その間、旦那が織っていたのだという。誰もが織り機に向かう環境が、ここにはある。
織り機の置かれた家々を左右に見ながら、集落をいくつか通り過ぎ、T字路を右折し左折し、水田の中の細い道をくねくねと1時間ほど進み、いいかげん道に迷ったかなという頃、ちょっと広い道に出た。なんとそこが、バティ郡のペイ村だった。
じつは、舗装道路を左折してからの位置関係からすると、プレイカバスからチャンバックへ向かう道に出るのではないかと、地図をにらんで考えていたのだが、ドライバー氏に「ペイ村」とか「パイ村」と言ってもまったく判ろうとしない(発音は、パイでもペイでもなかったのがコトの真相らしい)。ちなみに地図は、プノンペンのモニヴォン通りにある国際書店で州別の詳細地図を入手できた。
車を停めたドライバー氏が「ちょっと待て」と言って車を降りた。そのすぐ先の家が、なんと、IKTTの織りのチーフ、ソガエットさんの妹の家。その隣は、同じくIKTTのワンニーさんの実家。ソガエットさんの妹の家で織った絣布を見せてもらう。精緻な括り、打ち込みのしっかりした布目の揃った織り、さすが腕がいい。残念だったのは、はっきりしすぎるほどの青が基調だったこと。織りの産地ゆえに、自然染色で、というわけにはいかないのが現状であるらしい。
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