2013-09-07

カンポット州タコー村を訪ねる

 2013年の夏、カンポット州のタコー村を訪れた。ここは、森本さんがユネスコのコンサルタントとして1995年に実施したフィールドワークのなかで出会った「つい最近まで養蚕をしていた」村であり、その後、ここでカンボジアの「伝統的養蚕」を再開させようと、森本さんが足しげく通った村である。
 プノンペンを出発し、国道3号線をひたすら南下。タケオ州アンク・タソム(Ank Tasaom)を過ぎ、2時間半ほどでトラム・カッ(Tram Kak)の市場に到着。この集落を通過したところで脇道に入る。
 17~18年前に、森本さんを乗せて何度もタコー村に通ったというドライバー氏は、「当時はこんなにまともな道はなかったよ」といいながら車を進めていく。が、さすがに当時とはずいぶん様子が変わっているようで、「お寺を4つ通り越した先だと確認してある」というものの、道沿いに山門があって本堂はずっと先の小高い丘の麓という寺もあり、それを含めるとすでに少なくとも5つは寺の前を通り過ぎているはず。すれ違うバイクに道を尋ね、携帯電話でどこかに確認しつつ、国道を離れてからほぼ1時間、ようやくタコー村に到着した。
 まず訪ねたのは、当時の養蚕グループのとりまとめ役だったポゥンさんの家。ポゥンさん自身はすでに亡くなられてしまったが、奥さんのオウ・モムさんにご挨拶。今も使っているらしい、糸引きの道具一式を出してくれていた。見上げれば、梁の上には、蚕を育てるときに使う大きなザルもある。
 家の周囲を眺めると、軒先には大きな水甕が並び、ヤシの木やパパイヤの木が育ち、バナナも茂っている。庭先には溜池もあった。家のすぐ裏手には、大きく育った1本の桑の木が残っていた。電気は来ているけれど、今も天水に頼る村の暮らしがうかがえる。ときおり雨のパラつく季節のせいか、緑も映え、想像していたよりも豊かな村という印象だ。

 次に訪れたのは、現在の「伝統の森」村長トウルさんの実家。オウ・モムさんの家からさほど離れているわけではないが、雨季になれば寸断されるであろう畦道のような道を進む。
 トウルさんの奥さんのお父さんも待っていてくれた。親族での記念写真(このプリントは後日トウルさんにお届けした)。ぼんやり庭先を眺めていると、そのすぐ先を牛たちが通り過ぎて行く。「伝統の森」のあるピアックスナエン周辺でも、よく牛を見かけるのだが、ここカンポット州では、牛の存在感がより大きいように思えた。

 当時を知るドライバー氏によれば、「モリモトがこの村に来たことで、養蚕が再開できて皆ハッピーだった。が、1997年の政変以降、モリモトが来なくなってからはこの村の養蚕も次第に廃れてしまった」とのこと。養蚕が村びとたちの経済的自立を助けると考えていた森本さんの思いと、村びとたちの思いには、いくぶんの齟齬があったのかもしれない。
 IKTTがシエムリアップに移転した翌年だったか、森本さんに「タコー村の養蚕は、その後どうなっているんですか?」と尋ねたことがある。そのとき、森本さんはこんなことを話してくれた。
「復活した養蚕の村ということで地元の新聞やテレビで紹介され、それを知ったいくつかのNGOなどが入りこんでいたので、あえて行かずにしばらく距離をおいていた時期があったんだ。僕の知らないところで、『森本からの紹介だ』と言って取材に入ったテレビクルーが、撮影のために至近距離で蚕にライトを当てて蚕が弱ってしまった、なんて話も聞いていたからね」
 養蚕復活の種は播いた。それをどう育てるかは、彼ら自身の問題だ、という森本さんなりの判断があったのかもしれない。
 ともあれ、2002年の秋には、森本さんは再びタコー村を訪れる。「伝統の森」再生計画を始めるにあたり協力してもらえないかと、村の長老たちに相談に行ったのだ。そして、それを受けてタコー村の若者たちがピアックスナエンまで開墾にやってきたことが、現在の「伝統の森」の第一歩となった。

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