2011-10-07

「森に守られた村」の復興にむけて

 10月6日付で配信されたメールマガジン「メコンにまかせ」(vol.258)で、森本さんは、今回の濁流に襲われた「伝統の森」で、10年かけて育った木々への感謝の気持ちを記しています。
 また同時に、この甚大な洪水被害からの復興に関して、みなさまからのご支援を呼びかけています。
 以下、メールマガジンから引用します。

森に守られた村
 9月10日の「蚕まつり」の頃からわずか2週間の間に、数度にわたって豪雨と洪水、そして濁流に飲み込まれた「伝統の森」。地元のカンボジアの人たちにしても、これは100年に一度あるかないかの出来事だという。
 濁流の激しさの痕跡が、いたるところに残されている。道路は、表土の多くが洗い流され、大きくえぐり取られた痕跡がところどころに。そして、森の木々の幹や根元には、水草が絡みつき、その量と高さで、濁流の様子が手に取るように分かる。高いところでは、1.5 メートルを超えている。森の所々には、木々に遮られるように水草やその他の枯れ枝が絡みつき、小さな壁のようなものができているところも。それは、そのまま濁流の激しさを物語っている。が、同時にその森の木々が濁流の激しい流れを押し留めてくれていたのだと気がついた。でなければ、小さな家など、濁流に流されていたかもしれない。
 村人たちと森の中を歩きながら、作業場から流されていた糸車などの道具類の一部も、木々の間で見つけ、回収することができた。すべて流されてしまったと思っていた染め材として使うライチーの木を切り出した大きな木片も、木々の根元に見つけだし、約半数は回収することができた。そして、沼に面したところに茂っていたマングローブの樹木が、テーブルや机、織り機など、すこし大きなものが流失するのを、ちょうど脇に抱えるようにして防いでくれていた、すごい。
 心配していた桑畑の桑の木も、大きな被害を受けないですんだ。濁流の中で、根こそぎ持っていかれるかもしれないと想像した。しかし、これも、桑畑を囲む森の木々が、桑畑を守ってくれていたのだと気がついた。桑の葉はほとんど流失していたが、そこからわずか数日後にもかかわらず、すでに新しい芽が吹いていた。
 10年前、ここは薪になる木まで伐採された荒地だった。だが、切り株から芽吹いた新芽を育て、下草を刈り、間引きをしてやることを続けた結果、いまでは5~6メートルの高さに育ち、小さな森といえるまでに育っている。その森の木々が、いわば防風林のように、激しい濁流から「伝統の森」の村を守ってくれたのだと、森の中を歩きながら実感した。
 隣接地に、荒地を更地にして豚舎を建て、豚を三千頭ほど飼っていた男性がいる。子豚から育て、もう出荷間近になっていたその豚の多くを濁流で流され失った。彼は泣きながら、呆然と立ちつくしていた。それを見て、自然の木々があること、その大切さをあらためて実感した。
 「伝統の森」には、夜間38家族の家屋に電気を供給するための、自家発電をする2キロワットのディーゼル発電機がある。それも今回、何度か何日間か、冠水していた。これまでにも同じような、これほど水位は高くないが、洪水に見舞われたことがあり、その都度、機械を壊し修理に時間を費やしてきた。今回、洪水が予想できたので、約50センチほどだが、ジャッキを使って据え付け位置を高くしておいた。が、水位はそれを超えてしまった。しかし、発電機が完全に乾くまで数日置き、分解掃除をし動かしてみた。するとなんと復活。2週間以上の夜間も電気のない生活からようやく開放された。発電機は「伝統の森」の設備の中では、高価なものに属するから、もし壊れればと頭を痛めていたから、ほっと一息だった。しかし、予備用の5キロワット発電機や、揚水ポンプの何台かは、分解掃除をするものの、いまだ復活しそうにもない。村の男たちは、機械や設備類の総点検と分解掃除に明け暮れている。
 多くの家は、わずかなりとも高床式の造り。おもな生活の場は二階、そのおかげで救われた。これも昔からの人々の知恵なのだろう。そんな何年かに一度しか来ない洪水や濁流に備えて暮らしているなんてと思うけれど、そのおかげで安心して暮らせる。古くからの高床式の家が、カンボジアでいまも建てられ続けている謎が解けた。
 5年ほど前、「伝統の森」に暮す家族が増えたので新しい家を建てようとしたとき、この場所がよいと何人かが主張したところがあった。「伝統の森」のなかでは中間地点というか、入り口からも工芸村エリアという皆が集まるところからも中途半端なところ。なぜ、そこに家を建てたいのか、彼らの意図がわからなかった。そこに今では4軒の家が建っている。今回、洪水にさらされたとき、そこは周りに水があるときも、一段高く水からの安全圏にあった。昔から村を作るとき、人々は生活用水が確保でき、そして洪水から家を守れる小高い丘に家を建て村を作ってきた。そんな古くからの知恵が、今なお彼らの中に生きていることを知った。今後、「伝統の森」のプロジェクトを進めるには、そんな自然の地形を見直しながら、進めなければならないことを学んだ。
 「伝統の森」は、海抜39-42メートルくらいのところにある。今回、浸水したエリアは39-40メートルのあたり。濁流が襲ったときは41メートルエリアまでも危なかった。しかし、なぜか多くの家は安全圏にあった。一方、今回被害の大きかったショップや作業所などのある工芸村エリアは、じつは39メートルのところがほとんど。そこにあった平屋のスタッフの家では、濁流に、鍋、釜、テレビも流されてしまった。でも、彼らはその話を笑顔でしている。本当にたくましく、しなやかなのだ。どんな苦境にも耐え、自然を受け入れる強さとしなやかさを持っている。
 今回の濁流のなかで、「伝統の森」は、多くの資材や設備を失った。しかし、森の木々のお陰で守られたものも多い。そのことに感謝したい。
 これまでも、いろんなところで激しい濁流を見てきた。その濁流を見ると、それは自然の痛み、叫びなのではないかと思うことがある。そんな自然の山、川、田、畑とともに、自然への感謝の気持ちを忘れないで、これからも暮らしてゆきたい。

2011年10月6日 シェムリアップにて
森本 喜久男

■IKTT「伝統の森」洪水被害への、義援金のお願い■
 このたび激しい濁流のなか、木々に守られながらも「伝統の森」での洪水と濁流による損害は甚大で、施設の回復などのために、ここに皆様のお心を義援金として、支援していただけること、お願い申し上げます。
IKTT(クメール伝統織物研究所) 森本 喜久男
                   
※義援金のお振込みは、下記の口座にお願い申し上げます。
  東京三菱UFJ銀行 梅田中央支店
  口座番号(普)1611655
  口座名  森本喜久男

【以上、メールマガジン「メコンにまかせ」掲載記事から再掲】
※メールマガジン「メコンにまかせ」の講読は、こちらからお申し込みください(講読無料)。

 以下、現地からの写真です。修理中の発電機、濁流に削り取られた「伝統の森」の前の道路、回収できた染め材となるライチーの木片、木の根元にからみつくホテイアオイなどの水草の除去。


2011-10-01

「伝統の森」をおそった洪水と濁流

 9月29日に配信されたメールマガジン「メコンにまかせ」(vol.257)のなかで、森本さんは、「伝統の森」をおそった洪水の状況について記しています。
 今回の集中豪雨により、カンボジア各地で河川の氾濫や道路の冠水などが起きています。およそ20万人近い人々が被害を受け、うち死者が約150名、一時的な避難を余儀なくされている人々は2万人に及び、国道や橋梁などのインフラ及び学校や病院などの建物、そして農作物にも大きな被害が出ているとのことです(写真に見るとおり、「伝統の森」では、現在ほとんど水は引いているようですが)。以下、メールマガジンの一部を引用します。

 「伝統の森」に至る、バンテアイスレイ寺院からの道が通行可能だと連絡が入る。いつものアンコールトム郡からの道は、途中約300メートルにわたって道路が決壊し、川になっているため通行不能。米を100キロ、インスタントラーメン3箱、そしてその他の食料品、子どもたちへのお菓子などを買い、村に向かった。
 驚いたことに「伝統の森」のみんなは元気そうだった。顔を合わすと、笑顔が返ってくる。うれしかった。もっと深刻な状態を想定していたから。村の入り口のエリアは、これまでも水が来たことがなく、多くの村人はそこの家々に避難していた。海抜42メートル。今回冠水した所は、海抜39-40メートル。わずか数メートルの違い。
 途中、前回の「蚕まつり」のときに濁流が流れていたところは、そのときよりも激しく渦巻いていた。一緒に行ったドライバーは怖いという。運転を変わり、水没した濁流の中、狭い道路の地形を思い出しながらハンドルを切った。滝つぼから出てきた激しい水の流れを横断するようなもの、気合を入れながらだった。そして、無事、冠水した工芸村エリアに到着。約20人ほどは、そこで頑張っていてくれた。
 水没した面影のように、家の壁は、水位の跡を示すように色が変わっていた。そして、水草が木々に付着し、濁流の激しさを物語っていた。ショップのある作業建屋やわたしの家の階下は、激しい水の流れの痕が、タイルの上に砂の模様となって残されていた。積んであった染色用のライチの木片は多くが流され、一部が植木の根元に転がっている。階下にあった織り機、机や椅子、その他備品類の多くは流されてしまった。しかし、いくつかは、池の周りの木々に引っかかるように残されていた。この木々がなければ、すべて流されていたかもしれない。不幸中の幸い、これも、自然の力なのだろう。飼っていたアヒルは居なくなっていた。逆に、だめだと思っていた鶏は高い木々に避難していたので、大丈夫だという。牛は、幸い入り口に近いところに避難させていたおかげで助かった。
 まだ被害の全体は見えないが、片付けをしながら「伝統の森」の復興事業が始まる。それは決して容易でないことは想像がつく。濁流に飲み込まれ孤立していたときの電話に、人の安全に念を押し、確かめるように話した。もともと、何もないところから、荒地を開墾しながらはじめた事業である。今は、何もないわけではない、経験をつんだ人がいる、すべては人が基本である。そして、土地も家もある。ゼロからの出発ではないと、自分に言い聞かせるように、村人のみんなにも話し始めた。
 今年の「蚕まつり」では、王室や行政からIKTTの活動への感謝のお言葉をいただいた。これは、大きな励みとなる。そして、この洪水を契機に、新しい10年の始まりとしていきたいと、いま思っている。

【以上、メールマガジン「メコンにまかせ」掲載記事から再掲】
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 以下、現地からの写真です。ゲストハウスの壁に残る水の跡、織り機の並んでいた高床式建物の階下の状況、木々に引っ掛かり流失を免れた机や備品、牛舎の柵に引っ掛かった水草。

2011-09-25

シエムリアップの増水

 シエムリアップ周辺では、22日から再び大雨による河川の氾濫・増水が起きているようです(写真は、23日にIKTTの入り口で撮影されたものです)。
 同様に「伝統の森」でも、かなりの増水となっているようです。水が引いた後の畑の復旧、故障した発電機など機械類の修復など、想定外の仕事が増えそうです。
 twitterやfacebokで森本さんが書いているように、増水そのものについては、不便ではあるものの、皆あっけらかんとした対応をしているようではありますが。

2011-09-22

「蚕まつり2011」レポート(その8)蚕供養

 翌朝、空が明るくなる頃には、すでに何人かが起き出していました。朝食の準備に取りかかる者、昨夜のゴミを片付る者、それぞれが自分の持ち場で働いています。
 昨夜の大雨でさらに増水し、「伝統の森」のあちこちが水に浸かっています。ゲストハウスは、ポーチのタイルまで水がついたようですが、室内への浸水はかろうじて免れました。
 「伝統の森」のショップのある建物の、仏像を安置した部屋には、供物が運び込まれ、線香が焚かれています。
 蚕供養の読経をするはずの仏僧たちの招聘も、足がないということで中止となりました。読経も、IKTTのスタッフと森に暮らす村びと自身で行ないます。
 日本から参加した人たちに森本さんは、タコー村での養蚕再開プロジェクトとして、タコー村に蚕の繭を届けたのが95年9月のことであり、そしてタコー村から「伝統の森」へと蚕の卵が届けられ、養蚕が始まり、「伝統の森」で生糸が引かれるようになったのが2003年の9月と、IKTTの蚕は9月に縁があったのが、この時期に「蚕まつり」を始めた理由なのだと説明していました。

2011-09-21

「蚕まつり2011」レポート(その7)バックステージ

 ファッションショーが終わり、休憩と食事タイムとなりました。降り続く雨のなかで、小さな舟での機材搬送のリスクとバンドメンバーの深夜の帰路のことを勘案し、森本さんは第2部のミロのコンサートの中止を決めました。
 参加者が食事を始めたことで、ダンシングのステージに登場する子どもたちも夕食を食べに家に戻っていきました。この時間になって、子どもたちに再度の招集をかけることも難しい状況です。森本さんは、第2部そのものの中止を決断しました。たいへん中途半端なかたちではありますが、こうして「蚕まつり2011」前夜祭は終了となりました。
 ところで、森本さんはつねづね「まつりというのは参加するみんなで作り、みんなで楽しむもの」と言っています。ファッションショーのステージでキャットウォークする女性たちだけが主役のイベントではないのです。食事の準備もIKTTのスタッフたちです。この日、食事をテーブルに運ぶ係となったのは「伝統の森」で働く若い男性陣でした。彼ら自身も、このイベントに彼らなりに参加し、楽しんでいるようです。いつもは着ることのないような白いYシャツを着て、胸にはリボンを付け、すっかりウエイター気分です。
 ステージに上がったメンバーの着替えとメイク落しも終わり、食事もおおかた終わった頃、BGMのようにカンボジアの歌謡曲が流れていたスピーカーから、テンポのはやい曲が流れ始めました。例によって、ではありますが、ダンスタイムの始まりです。
 ファッションショーというひとつのイベントを終えた興奮、まだ覚めやらずといったところでしょうか。ステージの上は大盛り上がりです。「蚕まつり」参加ツアーで「伝統の森」に宿泊している日本からの学生さんたちも加わります。森本さんも踊っています。……雨脚の衰えない大雨のなか、12時近くまで、ダンスは続きました。

2011-09-20

「蚕まつり2011」レポート(その6)ファッションショー3

【ステージ6】
 いよいよ、最後のステージです。
 例年どおり、大人ゴージャス系のアレンジが楽しめます。このステージに登場するメンバーも、経験を重ね、落ちついた雰囲気を漂わせています。
 過去2回と比べると、メイクの雰囲気がやや変わり、以前より洗練された印象を受けました。これもシエムリアップの町の発展を反映したものでしょうか?





















【フィナーレ】
 フィナーレでは、参加者全員が再びステージに登場します。
 長い竿で、パムアンの布をはためかす演出も加わりました。パムアンとは、経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を、それぞれ異なる色で染めた玉虫色に輝く布です。

2011-09-19

「蚕まつり2011」レポート(その5)ファッションショー2

【ステージ4】
 後半のステージは、年ごとに変化する森本さんの着付け&アレンジが楽しみです。
 意外ともいえる、Tシャツと絹絣の組み合わせに加え、今回は肩に掛ける布にもひと工夫ありました。



【ステージ5】
 このステージでは、森本さんの手描きバティック(=ローケツ染めの布)が、ふんだんに使われています。また、これまではゆったりとした着付けタイプが多かったのを、今回はややタイトな感じのアレンジを意図したそうです。


 ステージの上のモデルたちも、若いながらも貫禄を感じさせるような、自信を持った歩き方と表情を見せています。(続く)

2011-09-18

「蚕まつり2011」レポート(その4)ファッションショー1

【ステージ1】
 まず、はじめのステージは、ピダンのデモンストレーションです。チャーップという、ヤシの葉で作ったたくさんの小鳥をつけた飾り物を手に持った女性と、蘭の花を盛った器を手にした女性を先頭に、ピダン(絵絣)を広げた女性たちが登場です。
 ステージ上で、ライトが当たり、揺れて輝く、手引きの生糸ならではの質感と光沢感が際立ちます。

【ステージ2】
 次のステージは、婚礼の行列をイメージしたものです。
 サンポット・ホール(絣布の巻きスカート)と、レースやビーズで飾りつけたブラウス着用が、基本のようです。このいでたちが、現在のカンボジアの正装といったところでしょうか。

【ステージ3】
 続いては、男衆の登場です。
 おのおのが酒器や楽器を手にして、ステージの上を練り歩いていきます。
 大判のピダンの布を見せびらかすように踊っているのは、自分の奥さんが織り上げた絣布を自慢しているのだとか。(続く)

 

2011-09-17

「蚕まつり2011」レポート(その3)開会式そしてアプサラダンス

 3時すぎ、森本さんが「伝統の森」に戻ってきました。いよいよ「蚕まつり2011」の始まりです。
 プリンセスの欠席が決まったことで、州知事ならびにその他の省庁から出席予定だった来賓も欠席となりました。地元代表のアンコールトム郡の郡長と警察署長、そしてピアックスナエン地区の区長が来賓用のひな壇に上がります。
 まずは、メンアンさんによる開会のことばにはじまり、そして郡長による祝辞、森本さんの挨拶を経て、「蚕まつり2011」は始まりました。
 オープニングは、来賓を迎えるためのアプサラダンスです。

2011-09-16

「蚕まつり2011」レポート(その2)豪雨による予定変更

 9月10日未明、再び激しい雨になりました。朝になると「伝統の森」の沼の水位が上がっています。ここ数日、断続的に降り続く豪雨のため、シエムリアップから「伝統の森」に到る道には車がスタックするポイントがいくつもできていて、マイクロバスで到着した参加者からは「途中でトラックに牽引してもらい抜け出しました」とうかがいました。「伝統の森」のすぐ横を流れる川の水位とともに、沼の水位も上がったようです。
 太陽は、一瞬の晴れ間を見せてくれますが、いつの間にか雲が広がり、突然のスコールがやってきます。「伝統の森」の入り口から、ファッションショーのステージのある工芸村エリアまでの間に2か所、道が冠水しています。今のところ、車で通過できますが、これ以上、水嵩が増すと難しくなるかもしれません。いざというときに人や荷物を渡すためのボートが用意されました。
 前夜祭開催に向けて最終確認と指示をしてまわる森本さんの作業の合い間をぬって、前日から取材に入っているカンボジア国営テレビ局のクルーによるインタビューが行われています。
 昼過ぎ、森本さんの携帯に、シエムリアップで待機していた王室関係者から連絡が入りました。いわく、この天候ではプリンセスが「伝統の森」のあるピアックスナエンまで行くのは困難だと判断した。しかし、この日のための、モニク王妃からの贈り物があるので、それを受け取りに来てほしい――と。
 そこで、急遽、森本さんは、シエムリアップへ向かう準備を始めます。同行するのは、ゼネラルマネージャーのバンナランと、今回イベントでの司会進行と通訳を担当するメンアンさんです。メンアンさんは、クメール語の冊子「森の知恵」の翻訳の監修も手がけていただいた方です。
 シエムリアップまでとはいえ「蚕まつり」のために足を運ばれたプリンセスにお目にかかるために、「わたしの戻ってくる時間によっては、開始時間を少し遅らせることになるかもしれない」とスタッフに言い残し、水位の上がった「伝統の森」を出発していきました。
 その後も雨足は、断続的に強くなるばかりです。大雨のなか、アプサラダンスのグループが到着しました。メイク担当のおネエさまたちは、出演者へのメイクに取りかかっています。来賓席とテントの設営も完了間近です。テントの下には、繭から生糸を引き、その糸を括り、織り上げるまでの作業工程を実演するスペースも作られました。シエムリアップ市内からやってきた、前夜祭の当日見学組もようやく到着しました。一方、森のなかの低い土地のところには水が広がり始めていました。
 森本さんの帰りを待ちつつ、ステージの進行にかかわるスタッフたちは悩んでいました。じつは、舞台上手の袖と、楽屋としている建物の間には7~8メートルの距離があります。そこには屋根がありません。さらには、そこにも水が溜まりはじめていました。土砂降りのなか、それも水の溜まったところを走り抜けてステージに上がるのは難しい、スタッフ何人かで話し合った結果、そのように判断したようです。そして、上手から舞台に登場するすべての構成を、下手から登場するように変更しました(下手のほうが楽屋に近く、そこにはまだ水がついていなかったのです)。直前での、このような変更をして大丈夫なのか、ちょっと心配ではありました。

2011-09-15

「蚕まつり2011」レポート(その1)森本さんの思い

 ファッションショーを翌日に控えた夜遅く、森本さんはこう語ってくれました。
「今回2つのことが実現できることが、とてもうれしいと思っているんだ。ひとつは、モニク王妃の代理としてプリンセスが来席されること。
 これはすごいことだよね。16年前に僕個人が始めた養蚕再開プロジェクトが、IKTTという組織での伝統織物の復興という活動となり、そして織り手となる女性たちの生活支援と、染め織り技術の継承と発展へとつながり、その後もたくさんの人たちと関わるなかで、自然環境の再生と村づくりへと展開していった活動が、カンボジアの王室にまで伝わり、それが認められたということだからね。
 そしてもうひとつは、今回、ファッションショーのために制作した草木染めのバティックで、これまでとは違う技法を実現してしまったこと。普通、手描き友禅の手法は、裏返してみると、どうやって描いたかがだいたい想像がつくはずなんだが、今回のはどうやったのかわからないかもね。自分でも、ひょっとしたらこうなるんじゃないかと予想してはいたんだけれど、それが思った以上にいい効果がでているんだ」
 森本さんが「自分でも思ってもいなかった」という結果を生んだ技法で染めたバティックも、ファッションショーの衣装のひとつとして、明日のステージでIKTTのスタッフのひとりが身にまとうことになります。

 
■写真は、ともにプリンセスが臨席される雛壇に掲げられたパネル

2011-09-10

「蚕まつり2011」ファッションショーのための最後の通し稽古

 シエムリアップ周辺ではここ数日、たいへん雨が多いようで、日中も夜中も長めのスコールにおそわれます。そんななか「伝統の森」では、明日のステージ本番に向けて、最後の通し稽古が行なわれました。

2011-09-09

Mr.John Wongのブログ「TROPIXBLUE」のご紹介

 ベトナムのドキュメンタリージャーナリスト、John Wong氏のブログ(TROPIXBLUE)で、"Kikuo Morimoto - Wisdom from the Forest"と題した「伝統の森」の写真とレポートが紹介されています。John Wong氏は以前にも、「伝統の森」についての写真を掲載されています。

2011-09-08

「蚕まつり2011」の開始時間について

 10日(土)の前夜祭(第1部)の開始時間が、当初の15時30分から、15時開始に変更になりました。

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【前夜祭】9月10日(土)
    15時00分~ 《第1部》アプサラダンスそしてファッションショー
       (休憩/食事)
    18時~     《第2部》子どもたちのダンシング、そしてMILOによる演奏
【蚕供養】9月11日(日)
     8時~  仏僧を招いての蚕供養の儀式
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2011-09-07

ファッションショーのためのステージが完成

 「蚕まつり2011」のファッションショーのための特設ステージが、「伝統の森」に完成しました。

2011-09-06

Amazonの著者ページに、森本さんのプロフィールが掲載されました

 Amazonの著者ページに、森本さんのプロフィールが掲載されました。

■森本喜久男(もりもと・きくお)
 IKTT(Institute for Khmer Traditional Textiles ;クメール伝統織物研究所)代表。1948年生まれ。
 1996年にカンボジアの現地NGOとしてIKTTをプノンペン郊外のタクマオ市に設立。以来、内戦下で途絶えかけていたカンボジア伝統の絹織物の復興と、伝統的養蚕の再開に取り組む。2000年、IKTTをシエムリアップに移転。工房を開設し、研修生の受け入れを開始し、伝統的な絹織物の制作と並行して、若い世代への染め織り技術の継承に努める。2002年、シエムリアップ州アンコールトム郡に約5ヘクタールの土地を取得し、「伝統の森」予定地とする(後に23ヘクタールにまで拡張)。2003年、IKTTのプロジェクトとして「伝統の森・再生計画」に着手。荒れ地を拓くところから始め、小屋を建て、井戸を掘り、畑をつくり、野菜・桑・綿花を栽培し、養蚕をし、自然染色の素材となる木々を植え、自給的な染め織りが可能な工芸村を立ち上げた。自然染料による染織を核にしつつも、人びとの暮らしの再生と、人びとの暮らしを包み込む自然環境の再生に取り組むIKTTのプロジェクトサイトを「伝統の森」と呼ぶ。この「伝統の森」は、現在では、敷地のほぼ半分を木々の再生エリアとして保全・育成しつつ、約200人が暮らす「新しい村」として行政的認可を得るまでに成長。
 著書に『メコンにまかせ 東北タイ・カンボジアの村から』、『カンボジア絹絣の世界 アンコールの森によみがえる村』、ほかに私家版の『Bayon Moon - Reviving Cambodia's Textile Traditions』(英語版)、『森の知恵 The Wisdom from the forest』(クメール語版)など。また、「伝統の森」で開催されたイベントを記録したDVD『IKTT伝統の森 蚕まつり2008』などがある。
 第11回ロレックス賞受賞(2004年)、社会貢献者表彰(2010年)。
 日本国内での、講演会や「伝統の森」で制作された絹織物などの展示販売イベントなどの詳細は、メールマガジン「メコンにまかせ」(http://www.mag2.com/m/0000070073.html)や、ブログサイトIKTT Japan News(http://ikttjapan.blogspot.com/)で随時更新中。

2011-09-05

ファッションショーのための手描き草木染めバティック

 「蚕まつり2011」前夜祭のファッションショーのために、森本さんが制作した手描きの草木染バティックをご紹介します。


2011-09-04

「蚕まつり2011」ファッションショーのリハーサル



 「伝統の森」で開催される「蚕まつり2011」の前夜祭のメインイベントともいえる、ファッションショーのリハーサルの様子が届きました。屋外のステージの開放感が感じられます。
 直前になっての、日本からの「蚕まつり」参加表明が増えているそうです。

2011-09-03

「蚕まつり2011」まで、あと数日

 9月3日に配信されたメールマガジン「メコンにまかせ」(vol.254)のなかで、森本さんは、直前に迫った「蚕まつり2011」への思いについて記しています。以下、メールマガジンより引用します。

 開催まで、あと数日となった「蚕まつり」。早いもので、今年は第8回。8年目を迎える。
 そして今朝、プノンペンの王宮から、シハモニ国王の母君、モニック王妃の代理としてプリンセス妃がご臨席いただけると、ご連絡をいただいた。とても、光栄なこと、IKTT一同、緊張しながらお迎えすることになる。そして、シェムリアップ州知事からもご出席いただけると、ご連絡をいただいた。今年は、ほんとうに記念すべき「蚕まつり」となる。
 そのため、前夜祭の会場はこれまでの作業所ではなく、屋外に舞台を準備することにした。そして、時間も早くに変更。午後3時から、ご来賓の方々をお迎えしたあと、ファッションショーの前に、アプサラの踊り手たちによる客人を迎える踊りから始める予定。それに続き、織り手たちによるファッションショーとなる。例年の子どもたちのダンシングとバンド「ミロ」による演奏は、食事を挟んでの後半第二部、午後6時からの開催となる。明るい時間での、野外のファッションショーのため、メイクや照明などに工夫がいる、というか大変。でも、自然の染料だけで染め上げられたIKTTのクメールシルクの本来の美しさを、自然光の下で見ていただけると思っている。
 今日も、みんなでステージのウォーキング練習。最後の追い込み。今年のエンディングはマドンナに決定。野外でのショーだからの演出もあります。おいでいただける方、楽しみにしていただければと思います。
 カンボジアの伝統織物の復元から、それを取り囲む自然の再生、生活環境の再生、村づくりにまで発展してきたIKTTの活動が第一のステージを終え、第二のステージに向かおうとしている。そんなことをいま、「蚕まつり」の準備をしながら感じている。
 これからも、IKTTの活動、そして自然と、布への思いを、みなさまと共有していきたいと思っております。よろしくお願い申し上げます。深謝。

【以上、メールマガジン「メコンにまかせ」掲載記事から再掲】
※メールマガジン「メコンにまかせ」の講読は、こちらからお申し込みください(講読無料)。
※写真は、ファッションショーのために、森本さんが制作した手描きの草木染バティックです。

2011-08-24

「蚕まつり2011」の詳細が決まりました

 「蚕まつり2011」の詳細が決まりました。「伝統の森」での蚕まつりの開催は、すでに8回目となるようです。
 今回の前夜祭は、2部構成での開催となります。9月10日(土)の午後、15時から第1部としてアプサラダンスとファッションショーを、そして休憩と食事を挟んだ後、第2部として、子どもたちのダンシングと、シエムリアップで活動するバンド“MILO”による演奏が予定されています。
 翌11日(日)は、朝8時から、仏僧を招いての蚕供養の儀式が行なわれます。

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【前夜祭】9月10日(土)
    15時00分~ 《第1部》アプサラダンスそしてファッションショー
       (休憩/食事)
    18時~    《第2部》子どもたちのダンシング、そしてMILOによる演奏
【蚕供養】9月11日(日)
     8時~  仏僧を招いての蚕供養の儀式
    ★前夜祭(第1部)の開始時間が15時に変更になりました。
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 これまでの「蚕まつり」については、このブログサイトの左側サイドバーのラベルのところから、 [蚕まつり] をクリックしていただくと、過去の記事がご覧になれます。

2011-08-23

森への訪問者

 8月22日に配信されたメールマガジン「メコンにまかせ」(vol.253)のなかで、プノンペンにある王立農業大学(the Royal Agricultural University of Phnom Penh)の学生たちの、「伝統の森」への訪問について記しています。以下、メールマガジンより引用します。

 先日、「伝統の森」に、約100名のプノンペンの農業大学の学生たちがやってきた。一日を森で過ごした学生たち。染めや織り、桑畑、養蚕、野菜畑など、興味のある対象ごとにグループに別れ、「伝統の森」の担当者とディスカッションに夢中。
 無農薬の、オーガニックな畑と布。いい布を作るには、いい土が要るというわたしの話に聞き入ってくれた。彼らにも、小冊子『森の知恵』を贈呈した。真剣かつ前向きな、彼ら彼女らのエネルギーに期待したい。

 

【以上、メールマガジン「メコンにまかせ」掲載記事から再掲】
※メールマガジン「メコンにまかせ」の講読は、こちらからお申し込みください(講読無料)。

2011-06-30

カンボジアシルクの未来

 続けてのご案内です。
 6月29日に配信されたメールマガジン「メコンにまかせ」(vol.252)のなかで、森本さんは、カンボジア国内で新たに始まったカンボジアシルクに関する取り組みについて記しています。以下、メールマガジンより引用します。

 「カンボジアの養蚕業と、シルクの未来」、この遠大なテーマを見据えた会議が、先日プノンペンで開かれた。国連のWFPが財政も含めた支援をし、カンボジア政府の閣僚評議省(首相府)と農業省が中心となり、各州の農業省の担当者も含め、すでに養蚕を開始している各地の村人やNGO関係者も参加。IKTTからは「伝統の森」の村長トウルさんとわたしが参加、全体で約50名の参加者。
 これまでにも商業省を中心にしたシルクプロジェクトがあったのだが、そこからもう一歩前に踏み出した動きが始まったといえる。まず農業省が中心になり、養蚕農家を支援するための養蚕センターが開設され、具体的な品種改良も含めた見直しが始まっている。そこでは、同時にカンボジアの黄色い蚕、在来種の再評価が進められている。
 これまでの養蚕業は、それをわたしはあえて「近代養蚕」と呼ぶのだが、効率と生産性が第一に掲げての品種改良が進められてきていた。結果的には、機械に対して効率のよい糸を吐く蚕が優先された。それゆえカンボジアの在来種は、効率の悪い蚕とみなされてきた。しかし、大量生産を前提に品種改良しつくされた蚕は、いまでは桑の葉を食べさせてもらえず、人工飼料で育てられている。それは、いわば工場で作られるシルク。結果的には、丈夫さやしなやかさに欠ける、水洗いができない弱いシルクになっている。
 カンボジアで古くから飼われていた、黄色い生糸を吐く蚕。そして、昔ながらの座繰りと呼ばれる方法で繭から糸を、手で引く。IKTTの「伝統の森」で引かれる、しなやかな生糸である。その生糸のよさが今、見直され始めている。たとえば、月に1000メートルの布を、と突然の問い合わせがベルギーから。それ以外にも、そんな問い合わせが来るようになってきている。しかし、現在の生糸の年間生産量はカンボジア全体でわずか5トン。月に1000メートルの布のためには、一年間で1トン以上の生糸が必要にある。しかし、それだけの生糸は現在のカンボジアでは確保できない。生糸の生産量が足りない。タケオなどの織物産地で使われている生糸の多くは、ベトナムや中国から輸入されている。それは、大量生産された生糸、その輸入量は年間400トンを超える。
 プノンペンの会議では、10年後、2020年に生産量を400トンにして行くための戦略が話し合われた。しかし、それは大量生産の近代養蚕を目指すものではない。カンボジアの在来種の蚕を生かし、効率だけを最優先させるのではなく、より丈夫な養蚕農家にとって必要な蚕への品種改良を準備するというもの。それは決して容易なことではない。しかし、その第一歩が踏み出された。その目標を現実のものとするための、養蚕農家を支える政府の具体的な政策が動き始めた。かつて日本では、各地に蚕糸試験場があり、養蚕農家を支えてきた。それと同じようなシステムが今、これからのカンボジアの養蚕農家には必要である。
 IKTTも「伝統の森」で、蚕を飼い、そのために必要な桑畑を試行錯誤をしながら少しずつ広げてきた。しかし、蚕は生き物、生モノ。決して容易なことではない。でも、その吐く糸は素晴らしい。これからもIKTTは、カンボジアの黄色い生糸の未来のために、その力を、カンボジアの多くの村人と合わせていきたいと、いま願っている。

【以上、メールマガジン「メコンにまかせ」掲載記事から再掲】
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クメール語の小冊子『森の知恵』にまつわるTV局の取材

 6月29日に配信されたメールマガジン「メコンにまかせ」(vol.252)で、森本さんは、カンボジアのTV局から取材を受けたことを記しています。以下、メールマガジンより引用します。

 数日前、「伝統の森」でカンボジアの人気テレビ局CTNの取材を受けた。昨年の「蚕まつり」を取材し、特番を作って放映してくれたテレビ局だ。
 最近、カンボジア国内で、IKTTの活動と名前が知られるようになり始めている。カンボジアの織物やハンディクラフトの活動にかかわるNGOの人たちの訪問が増えている。なかには、自然染色の研修に訪れるグループもいくつか。そして、王立のプノンペン芸術大学の学生や、農業大学の学生などもグループでやってくるように。伝統の生きた姿と、そこで暮らす人々。そして自然。若いカンボジアの人たちが、その生活の様子を見て、多くのことを感じてくれるようになってきた。
 今回の取材は、わたくしのクメール語の小冊子『森の知恵』発行についてだった。そして、小冊子を献上させていただき、それに目を通されたシハヌーク元国王から直筆の感謝の書状を頂いたことへの、わたしの思いをインタビュー形式で受けた。しかし、恥ずかしながら、わたくしのクメール語は日常会話では何とかなるが、そんな公式的なインタビューにお答えするにはとても、のレベル。あらためて、読み書きからもう一度勉強しなくてはならないと、反省の気持ちが。
 さらには「カンボジアのシルクの現状と未来」などという、大それた質問を受け、答えたいのはやまやまだが、クメール語の言葉が出てこない。今週の木曜日の夕方には放映される予定だというが、解説で紹介していただけるとは思うのだが、やはり見るのが恥ずかしいような気が。
 タイで10年と少し暮らし、カンボジアでの暮らしも15年を超えた。でも、タイ語はいまでも普通に話せるのだが、クメール語は日常会話のレベル。最近は政府の方々とお会いすることもあるのだが、クメール語だけでは説明できないもどかしさがついてまわり、英語で補足の日々。
 60の手習いかな。タイ語のときもそうだったが、やはり読み書きから勉強しないとだめなのだろうと思い始めてきた。読み書きができるようになると、正確な音の違いがわかり、単語への理解と記憶が進む、はずである。

【以上、メールマガジン「メコンにまかせ」掲載記事から再掲】
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2011-06-27

個人ブログ「にゃむ」のご紹介

 NPO法人かものはしプロジェクトの共同代表であり、カンボジア駐在員の青木健太さんの個人ブログ「にゃむ」に、6月10日付で「天然染料にチャレンジ!」という記事がアップされています。
 かものはしプロジェクトで製作している製品の染色を、天然染料で行なうことができないかというトライアルとして、染めを担当するスタッフとともに「伝統の森」で、イグサの染色を試みたようです。
 1950年代のカンボジアの農村部のフィールドワークの集大成ともいえるJ・デルヴェールの『カンボジアの農民』(風響社)のなかにも、たしかイグサ(茣蓙)の染色についての記述があったように記憶します。

2011-06-12

完成したクメール語の小冊子『森の知恵』

 6月11日に配信されたメールマガジン「メコンにまかせ」(vol.250)で、森本さんは、発行のための支援協力をお願いしていたクメール語の小冊子『森の知恵』が、ようやく完成したことを記しています。以下、長くなりますが、メールマガジンより引用します。

 はじめてわたしが「クメール語の小冊子発行に向けて」というメールを発信したのは2009年7月のことですから、ほぼ2年も前のことになります。小冊子の印刷発行と無償配布に向けて、みなさまにご支援をお願いしておきながら、ずいぶんと時間が経ってしまいました。あれはいったいどうしたのかと、ご心配いただいたり、呆れられている方もいらっしゃるかと思います。
 できあがった『森の知恵』を、NGOで働くカンボジアの人たちや、日本語を勉強している若いカンボジアの人たち、周辺の小中学生などに届けはじめております。すでに読み始めた人からは、いいね、という反響があったりします。年長の方からは、若い人たちがカンボジアの伝統を見直すきっかけに役に立つと言っていただいたり、なかには、届けた組織の日本人の方から日本語版はないのか、と聞かれたりしております。
 そして、ほんとうに光栄に思える出来事がありました。この『森の知恵』を読まれたシハヌーク元国王から、モニク王妃との連名で、手書きの賛辞のメッセージが届いたことです。これまで、共に歩んできたIKTTのみんな、そしてそれを支えてきていただいた方々と、その喜びを共有したいと思います。
*
 わたしが、カンボジアの人たちと直接、知り合うきっかけは1980年、当時たくさんのカンボジアの人たちがタイ国境に押し寄せ、国境付近には難民キャンプが次々とできていた。そして、悲惨な現状を伝えるニュースは世界を駆けめぐり、緊急支援のために世界中の援助機関が動き始めていた。縁があり、わたしは80年にバンコックを訪れ、友人たちから託されたわずかな支援物資をNGOに届けた。そしてできたばかりの日本のNGOで活動する、世界中から駆けつけた熱気のある若い日本人たちと出会うこともできた。その現場で出会った、いろんなバックグラウンドを持つ人たち、それはわたしにとって衝撃でもあった。そんな、人との出会いが最初のきっかけのように思える。
 そして81年、短期で難民キャンプを訪れ、難民となったカンボジアの人たちの姿、そこで暮らす人たち、そしてそこで活動する世界から集まった人たちに接したことが、京都で手書き友禅の親方として工房を構えていたわたしに、工房をたたみ、難民キャンプのボランティアとしてタイへ行くことを決意させた。それは、いっしょに仕事をしていた弟子から見れば、困った親方だったと思う。
 難民キャンプにある織物学校のボランティアとして、83年1月からタイへ。しかし到着してみると、そのキャンプは閉鎖が決まっていた。そんなとき、わたしが京都で染織の仕事をしていたことを知っている方が、国際ロータリーの会合でバンコックに来られていた。お会いして、「森本さん、あなたの経験を生かさなければ、もったいないよ」と一言。それが、現在まで続く「糸へん」と呼ばれる、布にかかわる仕事に自身を特化してきた、きっかけだったかもしれない。
 難民キャンプに収容されたカンボジアの人たち、そしてそのキャンプの周辺で古くからタイに暮らすクメール・スリンと呼ばれる人たち。そこに、黄色い生糸を吐く蚕がいた。京都で10年と少し、友禅染めという絹織物にかかわる仕事をしながら、生糸は白いものだと思っていた常識を覆された。そして、その黄色い生糸で織りあがった手作りの布が持つ風合いに、惹かれた。当時、村で作られている黄色い生糸は品質が劣るというのが、多くの専門家の常識だった。そのことへの疑問、そして実際に材料工学の専門家に検査をお願いしたこともある。そして、この黄色い生糸の良さを確信。以来30年近く、その黄色い生糸にまとわり付かれながら、その糸からできる布が好きで、今ではその人たちとカンボジア、シェムリアップで「伝統の森」と呼ぶ小さな村を作りながら暮らしている。それは、不思議な出会いの積み重ね。
 カンボウジュ種と呼ばれる、黄色い生糸で織り上げられたクメールシルク。しかし、長い内戦のなかで、そのすばらしい伝統が、カンボジアの人たちの中でも失われようとしていた。それを取り戻したいということが、わたしのIKTTとしての活動の起点。
 そして、そのすばらしい伝統が、暮らしとともにある豊かな熱帯モンスーンの自然の中で育まれてきたことと、そのことの大切さに改めて気付いたことが、シェムリアップ郊外のピアックスナエンに、織物を生み出す村の生活とそれを包む自然環境の再生をめざす「伝統の森」プロジェクトを開始した動機となった。
 アンコールの時代、かつてはそこはアンコールを包む森の一部だったと確信する。でも、「伝統の森」プロジェクトを始めてまもなく、周辺の、わずかに自然の木々が残されていた土地が、数日にしてブルドーザーですっかり伐採されるという状況も目の当たりにした。そして、現在のカンボジアには、この国にすばらしい伝統的絹絣があったことも知らず、それを見たことのない若い人たちがたくさんいることにも気付いた。
 桑の木を植え、蚕を育て、自然の染料を使って布を作る日々のことや、伝統や自然について、これまでわたしは日本語でメイルニュースやウェブサイトに書いてきた。しかし、わたしのクメール語のいたらなさもあり、なかなか周りにいるカンボジアの人たちに、そんな仕事への気持ちを伝えられずもどかしい思いもしてきた。そんなこともこのクメール語小冊子を作りたいと思った発端にあった。
 幸いなことに、松岡さんという方がボランティアで、わたしの日本語を英訳してくれていた。あるとき、ウェブにアップされていた英訳された文書を読んだIKTTのスタッフで英語を熱心に勉強しているサカ君が、それをクメール語に翻訳することを始めた。それがIKTTのスタッフやサカ君の同級生の間で回し読みされ、いろんな声が聞かれるようになってきた。IKTTに、お絵描き組というのがある、毎日好きな絵を描きながら給料をもらえる人たち。でも、彼女たちは、なぜわたしがお絵描き組を始めたのか知らないでいた。そして、わたしの思いをクメール語で読み、納得。また、クメールシルクの話を読み、初めて黄色いクメールシルクと白いシルクの違いがあることを知った人もいる。それならば、そのクメール語の原稿をまとめて小冊子にし、多くのカンボジアの若い人たちに読んでもらおう、というのがそものそもの始まり。
 そして、サカ君の翻訳の見直しを、元留学生のメアンさんにお忙しい仕事の合間を縫ってお願いし、格調高いクメール語と言えるだけのものに磨き上げられ、ようやく『森の知恵』ができあがった。
 こうして完成したことを、いまとても嬉しく思っています。
 日本から、出版と無償配布に協力していただいた多くのみなさんに、ここにあらためて感謝とお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。当初、お約束したとおり、ご支援いただいたみなさまのお名前も、本の最後のページに掲載させていただきました。深謝。

【以上、メールマガジン「メコンにまかせ」掲載記事から再掲】
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※2009年7月に森本さんが発信した「クメール語の小冊子発行に向けて」については、こちらをご覧ください。

2011-06-10

映画「僕たちは世界を変えることはできない。」、そして川原医師の「手当て」

 6月9日に配信されたメールマガジン「メコンにまかせ」(vol.249)で、森本さんは先月末に突然日本にやってきた理由を説明されました。
 9月に全国ロードショー予定の、向井理さん主演の映画「僕たちは世界を変えることはできない。」の前売券購入者へのプレゼントとして、カンボジアのクロマーが贈られるそうです。じつは、そのクロマーの準備を、カンボジアにいる森本さんが依頼されていたのです。残念ながら、IKTTのシルクのクロマーではなく、森本さんが古くから知る、プノンペン近郊の織り手たちの村のクロマーだそうです。
 そのクロマーの発送手配が予定どおりにいかず、前売券の発売開始に間に合わせるために少量でも手持ちで日本に持ち込む必要があった、というのがコトの真相のようです。カンボジアの通関ルールに変更があったらしく、発送と通関を請け負っていた業者さんにとっても予想外の展開となったようでした。
 クロマーを成田空港で宅配便に託した後は、フォトグラファー内藤順司氏の紹介もあり、名取市へと向かい、現地で活動されるNPO法人ロシナンテスの川原尚行医師とそのスタッフのみなさん、そして現場に駆けつけたボランティアの方たちとの出会いがありました。以下、メールマガジンより、引用します。

 この数ヶ月、日本から伝えられるニュースを見ながら、カンボジアの地で被災地の方たちへの思いが募っていた。そして急遽、仙台の被災地で活動されるNPO法人ロシナンテスの川原尚行医師とそのスタッフのみなさん、そして現場に駆けつけたボランティアの方々とお会いする機会が持てた。しかし、訪れて、あらためて現場の大変さと、そこで活動される方々の気迫を感じた。厳しい現実を現実として受け止める、そこからしか始められないことだと、感じた。
 ロシナンテスの川原医師とは、被災地仙台で再会。スーダンで医療支援活動をされてきた川原医師が東北の被災地に入られたのは3月15日から。被災地での緊急支援の必要を理解し、そこにとるものもとりあえず駆けつけられた。それ自体、すごいこと。そして、被災地で現地の方と接しながら、川原さんは「薬はいらない」「大切なのは、手を当てること」と言われた。戦場のような被災地の中で、人びとと接しながら、医師として「手を当てる」行為の大切さを改めて実感されていた。その言葉は重く、お聞きしながら感激してしまった。
 そして、あらためて誰かに期待するのではなく、一人一人が個として、自身にとって身近な人にとって大切なことを見極めることが必要なのだと思えた。それは、基本は自己責任。そのための優先順位をはっきりさせ、それに従って行動することが必要なのではないだろうか。そして、のちのち後悔なく、納得できることをしなくてはならない。他人の目や、一般常識などにとらわれる必要はない。自身で決めていくこと、そんなことをあらためて感じた。

【以上、メールマガジン「メコンにまかせ」掲載記事から再掲】
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2011-06-02

法然院から、荒浜小学校の生徒さんへの支援が行なわれています

 毎年11月の紅葉の時期に、森本さんの報告会とIKTTのシルクの展示販売を行なわせていただいている京都の法然院では、津波で被災された仙台市立荒浜小学校の生徒さんへの支援を行なっていらっしゃいます。以下、法然院のWebサイト(法然院サンガ:222)から引用します。

 日本赤十字社など大きな団体への寄付を通じての被災者支援は公平性の観点から大切とは存じますが、顔の見える方々への個別の支援にも一方で取り組んでゆきたく存じます。此度、御縁がございまして、3月11日の地震による津波で校舎が2階まで水に浸かり、自宅を流された生徒も多く、5kmほど離れた仙台市立宮城野小学校で授業を受けている仙台市立荒浜小学校の生徒の皆様方の卒業アルバム製作、修学旅行、校外学習を支援させていただくことになりました。
 義捐金をお寄せ下さる方は、郵便振替用紙の通信欄に「荒浜小学校生徒学習支援」とご記入いただき、お払い込み下さい。宜しくお願い申し上げます。

 郵便振替口座番号:01050-4-60318
 加入者名:本山獅子谷法然院

2011-05-30

シエムリアップで、お絵描き組の作品展が始まりました

 シエムリアップで、ノム・トム・ムーンというお菓子の製造販売をしているカンボジア・ティー・タイム本店の2Fカフェ・ギャラリーで、IKTTのお絵描き組による作品展が始まりました(入場無料)。海上には、約40点の水彩画が展示されています。
 期間は、6月15日までとのことです。近々シエムリアップにお出かけの方、カンボジア在住の方は、ぜひともお越しください。
 会場となるカンボジア・ティー・タイムは、国道6号線(空港からシエムリアップ市内へ向かう途中)の、ゴールティアナ・アンコール・ホテル(Goldiana Angkor Hotel)、APEX(エーペックス)オフィス、レストラン米咲(maisa)の近くです。〔地図はこちら〕
 
カンボジア・ティー・タイム
 営業時間:10:00~19:00
 電話:(+855)63-761-397

2011-05-29

高円寺報告会&トークショー、終了しました

 高円寺・庚申文化会館での報告会&トークショー、充実した雰囲気のなか終了しました。突然の告知にもかかわらず、ご参加いただいた皆様、本当にありがとうございました。
 午後の部の「シエムリアップ 現地からの報告2011」では、森本さんが前日に訪れた宮城県山元町で瓦礫撤去作業の手伝いをしたことや、川原医師が被災地で行なっている「手当て」の意義に始まり、「伝統の森」の最近の変化、そしてシエムリアップに移転して10年が過ぎたIKTTの今後の目標について語っていただきました。
 夜の部の内藤順司氏とのトークショー「どうしたニッポン、そしてカンボジアとニッポンの未来」では、311以降の被災地の状況や日本の現状について話題が集中し、内藤さんが現地で知りえた“事実”や「川原医師や森本さんが的確な判断で行なっている現在の活動を支えるものは、それまでの経験の蓄積以外なにものでもない」という話や、森本さんの「自分にとってのプライオリティを考えてリスクに対応することが必要」で、それには「自分を大切にする、個の判断しかない」という発言には、会場からの共感が感じられたように思いました。

2011-05-25

5月28日、高円寺・庚申文化会館での報告会&トークショーのご案内

 森本さんの突然の一時帰国に合わせ、5月28日(土)、高円寺の庚申文化会館で、現地報告会と、フォトグラファー内藤順司さんをお迎えしてのトークショーが開催されます。
 午後2時からは、森本さんによる「シエムリアップ 現地からの報告2011」を、午後6時からは内藤順司さんとのトークショー「どうしたニッポン、そしてカンボジアとニッポンの未来」です。
 なお、会場では、報告会・トークーショーの前後にIKTTのシルク等の販売も行ないます。

と き:5月28日(土)
ところ:庚申文化会館(高円寺)
住所:東京都杉並区高円寺北3-34-1(茶房 高円寺書林のすぐ隣です)
電話:03-5356-9081

タイムテーブル(予定)
【午後の部】「シエムリアップ 現地からの報告2011」
 13時30分 開場
 14時    森本喜久男・現地報告会
 16時    閉会
【夜の部】「どうしたニッポン、そしてカンボジアとニッポンの未来」
 17時30分 開場
 18時    内藤順司×森本喜久男 トークショー
 20時    閉会

アクセス:JR高円寺駅北口の高円寺純情商店街を直進。突きあたりを左折し、すぐに右折。DVDドラマのすぐ先の左側角の建物(フロレスタ・ドーナツの手前)です。

2011-05-19

「日本列島 知恵プロジェクト」Webサイトのご紹介

 日本ロレックス株式会社が特別協賛している「日本列島 知恵プロジェクト」のWebサイトで、森本さんの活動が紹介されています。
 この「日本列島 知恵プロジェクト」とは、古来から里山や里海とともに暮らしてきた日本各地の知恵を訪ね、紹介していくというプロジェクトであるようです。サイト上にあるプロジェクト概要の項には、活動目的――古来、日本の各地に伝わる自然との共生の知恵、すなわち「里山」や「里海」の地域に残る知恵を取材。その取材内容を体系的に編纂し、定期的に発信することを通じて、日本の豊かな未来作りに寄与していくこと、とあります。
 このサイト上に、「未来に貢献する革新的プロジェクト」として、森本さんの活動が紹介されていますので、ご紹介いたします(トップページ下部の、Rolex Awards for Enterpriseと記されたブロックをクリックしてください )。

2011-04-20

中学校の美術の教科書にカンボジアのピダン(絹絣)が掲載されます

 平成24年度から使用される中学生向けの美術の教科書(日本文教出版)に、カンボジアのピダン(宗教的な絵柄を用いた、天蓋布として使われてきた伝統的な絹の絵がすり)が、掲載されるそうです。
 掲載される作品は、平山郁夫シルクロード美術館の所蔵品です。
 この作品は、2003年に福岡市美術館で開催された「カンボジアの染織」展でも展示されました。この企画展示にあわせて、同美術館で制作された図録『カンボジアの染織 - The Textiles of Cambodia』では、図版番号No.2として掲載されているものだということです。

2011-04-11

「蚕まつり2011」のご案内

 おまたせしました。今年の「蚕まつり2011」の開催日程が決まりました。
 ファッションショーを含む前夜祭は、9月10日(土)の午後4時からの開催予定です。翌11日(日)の早朝に、蚕供養が行なわれます。

 写真は、昨年の「蚕まつり2010」のときのものです。
 「蚕まつり」については、サイドバーにあるラベルから<蚕まつり>の項目を選択していただければ、過去の記録をご覧いただくことが可能です。